よりよく生きるためのセンス ~気づく力を養う~
私たちは常日頃からさまざまなことを選択し判断している。その基準のひとつとなるのが「センス」。
それゆえ、センスの良し悪しは生き方においても、ビジネスにおいても重要だ。
多くの人を惹きつける〝選ばれるセンス〟の持ち主であるエッセイストの松浦弥太郎氏を迎え、成功へと導くセンスの磨き方を学ぶ。
Text:Natsuko Sugawara
Photograph:Masahiro Noguchi
タイトル写真協力:東京都庭園美術館 本館 正面外観
「センス」とは気づく力であり
その人の生き方そのものを表す
「センス」とは気づきを得る力
ファッションセンス、ビジネスセンス、音楽や言葉のセンス、ユーモアのセンス。
「センス」はあらゆる分野で問われるものだが、学問のように学ぶことで誰もが身につけられる類いのものではない。
では、「センスのいい人」とはどんな人を指すのか。あらためて考えたとき、真っ先に思い浮かぶ人物のひとりが松浦弥太郎氏だろう。
編集長として、伝説的な婦人雑誌『暮しの手帖』のエッセンスを見事なまでに現代に蘇らせ、現在は数々のエッセイを綴りながら、ハイセンスな人の定番である「DEAN & DELUCA」の印刷メディアを手がける。
とにかく、松浦氏が関わるものすべてに私たちは特別なセンスを感じ、心ときめき惹きつけられる。
そのセンスの源は何なのか。そもそもセンスとは何を表すのだろうか。
「センスという言葉は捉えどころのない言葉でもあります。
そもそも日本語ではないので言い表すのが難しい。
あえて表現するなら、〝気づく力〟と言い換えられるのではないでしょうか」
旅をしているときや日々の暮らしの中でふと目にしたものに、ハッとなって心が動かされる。
そして、「もっと見ていたい」「もっと知りたい」と強く思う。そんな気づきを敏感にキャッチする能力。
それがセンスに繋がるのではないかと松浦氏は言う。
「僕自身、そうやって時代時代で出合ってきたものたちが記憶の中に刻まれて、センスと呼ばれるものに育っていった気がします」
移動することと美意識は正比例する
松浦氏は10代の頃、高校を中退して単身アメリカへ渡った。
「海外へ行けば何か新しい自分が見つかるのではないか」という淡い想いからだったそうだが、当時の旅はインターネットもなく、決して気軽なものではない。頼りにできるのは一冊のガイドブックと現地の電話帳くらい。
知らない土地で何かを見たり発見したりするには、自分の足で歩き回る以外に方法はなかった。
「今になってみると、その思い出がかけがえのない宝物になっています。
自分の力で探しあて、自分の目で確かめてきたという経験が、間違いなく今の僕を作っていますね」
長年、自身で営んでいる本屋「COW BOOKS」も、アメリカの旅で出合った古書店に魅了されたことがきっかけで始めたという。
「旅先でたくさんの場所を訪れ、たくさんの人と出会い、たくさんのものを見てきました。
僕は美意識というものは、その人の移動距離に比例すると思っています。
つまり、どれだけ移動するかによって人の美意識は変わってくる。遠くへ行けば行くほど、多くの気づきが得られ、センスが磨かれます。
海外まで行かなくても、京都が好きなら京都の街やお寺、庭園などを繰り返し歩いてまわることです。
〝移動すること〟は、人から伝え聞いたり、本で読んだりするだけでは得られない、等身大の気づきをもたらしてくれます」
例えば、アートは美術書の中でも眺められる。美術書には解説も載っているので、その作品を詳しく知ることができるだろう。
けれども、たとえ多くを知ったとしても、〝わかる〟ことはできない。
松浦氏はそう指摘する。
「実際に美術館まで足を運び、目の前でアートを見て、何かを感じることでようやくわかることがあるんです。
〝知る〟と〝わかる〟では雲泥の差があります。
わかること、つまり理解することで、初めてそれについて自分の言葉で語ることができる。
なぜかというと、本物を目にすることで自分なりの発見があるからです」
この発見がなければ、いくらアートを知っていても単なる知識に過ぎないし、センスも磨かれない。
「今の時代、皆がたくさんのことを知っています。でも、知っているだけで何もわかっていない。
これはちょっぴり残念なことではないでしょうか。
僕なんかは本も一回読んだだけではわからない。何回も繰り返し読むことで少しずつわかってきます。
遠回りですが、何度も読んで、時間をかけてわかったり発見したりすることは、僕にとってとても幸せなことなんです」
情報社会の中でバランスを保つセンス
一方、AIが進化し高度に情報化された社会では、ただ机に座ったままであらゆる知識を得ることができる。
「自ら体験してわかる」という行為から、人々はますます遠ざかっていくのではないだろうか。
「確かに、ネットを検索すればすぐに答えが出るというのはすごく便利ですよね。
そのせいで、現代人は思考することを省略しがちです。
昔のように答えを出せずに悩んだり、迷ったりという行為が失われつつある。
でも、はたしてAIなどのテクノロジーが出した答えが、本当に正しいのでしょうか。私は疑う必要があると思っています。
なぜなら、テクノロジーが持っている答えはすでに情報化されたものばかりだからです。言ってみれば古いデータなので新しい答えはひとつもない。
だとするならば、ネットの情報ばかりを追いかけていると、むしろ時代に取り残されてしまいます」
とはいえ、松浦氏も日々の仕事でインターネットを使いこなし、決してデジタルテクノロジーを否定するわけではない。
「要はバランス感覚ですよね。
ネットの情報だけを頼りにせず、うまく使い分ければいい。
食事で言えば、自炊するときもあるし、デパートでお惣菜を買ってくることもインスタント食品で済ませることもある。
買い食いばかりじゃ不健康ですが、バランスをとれば問題ない。実は、そのバランス感覚もセンスなんです。
だからセンスはあらゆることに影響してくる。
その意味では、センスとは『生き方』と言ってもいいかもしれません」
センスの原点は素直な心
いわば、私たちがよりよく生きるための拠り所となるセンス。
そのセンスの根本にあるのは、実は知識でも経験でもない。
松浦氏いわく、一番大切なのは「素直な心」なのだという。
「自分のことを、何でも知っている賢い人間だと思ってしまったら、学びも成長もありません。僕は何も知らない自分でいいと思っています。
何も知らないからこそ心の底から感動できるし、無邪気なこどものような気持ちでいろいろなことに興味を持てる。
多くの気づきを得られる人は、内面の奥底に素直でまっさらな心を持っている人です」
しかし年齢を重ねると、素直さを持ち続けるのは難しい。
たいていは積み重ねたものにとらわれ固定観念が植えつけられる。
ところが、松浦氏は違う。
「1年前と2年前では、僕が本の中で語っていることも当然変わってきます。
なぜなら自分が変化しているから。
毎日、発見や気づきがあることで違う自分に変化している。変わることを嫌う人もいますが、僕はそれが嫌ではありません。
むしろ、明日の変化が楽しみだし、それが日々を生きる原動力となっています」
本物を極める
〝好き〟を追求する意義
自分がいいと思ったものは調べて、学んで、極めること。
その過程でセンスは磨かれ、培ったものが仕事やビジネスとして実ることも。
それが、松浦氏が教えてくれた成功への道しるべだ。
自分の持つ「センス」、自分自身の「好き」を仕事に活かすことは容易ではない。
けれども松浦氏は、それをいとも簡単にやっているように見える。
何か秘訣はあるのだろうか。
「一番は詳しくなること。自分が『これ』と思ったこと、好きなことがあれば、それについて誰よりも詳しくなることです。
特に仕事においては、たいていの人が〝詳しい人〟を信用します。といっても中途半端ではダメ。調べて、学んで、理解して、世界一詳しくならなくてはいけません。
それができたら、絶対に世の中から必要とされます」
その言葉どおり、松浦氏は好きなものに対して勤勉で、誠実に向き合う。
例えば、「DEAN & DELUCA」。松浦氏が初めて出合ったのは20歳の頃で、大型ストアとしてニューヨークのソーホー地区に進出した時代にちょうど居合わせたという。
「ソーホーの角に出現した『DEAN & DELUCA』の店を目にしたとき、僕は本当に感動したんです。
スーパーマーケットよりもずっと上質で、グルメをテーマに世界中から選りすぐりの食材を集めている。
そんな食品店は今まで見たことがなかった。何てすてきなんだろうと思いました」
ただ「すてき」と思うだけではなく、どうしてすてきなのかが知りたくなり、毎日のように店へ通ったという。
「当時まだ新しかったエレクターシェルフが商品棚になっていて、そこにまるで宝石や美術品のように食材がディスプレイされている。
店内にはマーチャントと呼ばれるチーズの専門家、ワインの専門家、パンの専門家がいて、お客様の相談にのってくれる。
一軒の店であるけれども、非常に質の高い食の市場のようになっているんです」
それから30年余り経った今、松浦氏は「DEAN & DELUCA」のすばらしさを伝える仕事をしている。
「縁あって『DEAN & DELUCA MAGAZINE』を制作していますが、ベースにあるのは20歳の頃の原体験です。
あの時の僕の感動を、今の時代の人たちにも味わってもらいたい。
そんな気持ちで、当時の僕が感じたことを忠実に表現しようと努めています」
おいしい料理とは生きる知恵 DEAN & DELUCA MAGAZINE
2019年に松浦氏を編集長に迎えて創刊した新しい印刷メディア『DEAN & DELUCA MAGAZINE』。
「おいしい料理とは、生きる知恵である」をメッセージに据え、料理、旅、ライフスタイルなど「DEAN & DELUCA」が愛することをとことん語り抜く内容だ。
ひと味違う造本やデザインもユニークで、紙メディアの新たな可能性を感じさせてくれる。
日常の中でセンスを磨く
本物に触れる体験
アートや重要文化財、自然。それらは〝本物〟であり、何かしらの気づきを与えてくれる。
松浦氏が日々の暮らしの中で触れる、センスを磨く〝本物〟たちを紹介しよう。
明治神宮
「都会に居ながら、本物の自然を五感で感じられる貴重な場所」
自然が恋しくなったらここへ訪れるという松浦氏。
広大な敷地には植樹によって森が造営されている。
人の手で造られた森とはいえ、生態系が整い自然のサイクルで成長し続ける本物の森。豊かな植生を五感で味わおう。
東京都庭園美術館
「小路があって木があって、その下にベンチがあって…バランスのとれた庭園の空間が好きです」
皇族朝香宮家の自邸として建てられた本館は国の重要文化財にも指定されているが、松浦氏がよく訪れるのは庭園のほう。
広々とした芝生にさりげなくベンチが置かれている様は、都心とは思えないゆったりとした空気感が漂う。
根津美術館
「小さなプライベートミュージアムですが、訪れるたびに刺激を受けます」
明治時代に活躍した実業家・根津嘉一郎が蒐集した古美術品を展示するために作られた私設美術館。
松浦氏は数えきれないくらい足を運んでいるという。
国宝や重要文化財も多く所蔵され、規模は小さいが見ごたえがある。
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〈番外編〉
仕事を左右する健康と⾷
松浦さんに仕事をするうえで⼼がけていることをうかがうと、「健康管理」といういたってシンプルな答えが返ってきました。
「健康管理というのは僕の中では仕事のひとつです。それも、かなり優先順の⾼い。
⾃分⾃⾝がいつも元気でいてこそ、⼈と良好な関係が築けるし、信頼もしてくれるのではないでしょうか。
病気の⼈は別として、どんなに優秀な⼈でもしょっちゅう仕事を休むような⼈って、やっぱり信頼できないですよね。でも、たとえそんなに優秀じゃなくても、必ず毎⽇その場にいる⼈とは⼀緒に仕事をしたいと思いませんか?
能⼒なんてどんぐりの背⽐べなんだから、そういう基本的なところが実は⼤切だったりします」
確かに、体は資本。何をするにしても、⼼⾝が元気でないとうまくはいきません。
とはいえ、忙しいと⾃分の健康のことは後回しにしてしまいがち。
松浦さんは健康のため、どんなことに気をつけているのでしょうか。
「早寝早起き、それと⼀番⼤事なのは⾷事です。
『何を⾷べるか』も⼤事ですが、それよりも『どう⾷べるか』が重要。例えば、スマホを⾒ながら⾷べるとか、急いだりイライラしながら⾷べるとか、家族や友⼈と⾷事をしても⼀⾔もしゃべらずに⾷べるとか、そういう⾷べ⽅をしていたらダメですね。健康にはなれない」
多くの⼈が健康に良いものを⾷べようとするけれども、「⾷」を楽しまなくては良いものを⾷べたとしても⾝にならない。松浦さんはそう考えます。
「コンビニで買ったお惣菜でも、そのまま⾷べてしまったら味気ないですが、お⽫に移して並べればごちそうになります。
それを『おいしいな』って思いながら⾷べれば、⾷事の時間はずっと楽しいものになります。
どう⾷べるかで、⾷事のひとときの豊かさがまったく違ってくるんです」
⾷の時間を楽しむ。時間に追われる現代⼈は、忘れてしまいがちなことかもしれません。
「今⽇、⾃分の体調が良かったら、1年前の⾷事が良かったということです。
逆に今⽇の体調が悪かったら、1年前の⾷事が悪かったということ。どんな⾷⽣活をしていたか、振り返ってみるといいでしょう」
※インタビューの情報は2024年9月1日現在のものとなります。
Podcast「THIS IS US Powered by SAISON CARD」にて
インタビュー配信!
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