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〈神山まるごと高専に見る新たな学校のカタチ・前編〉学び方改革

2023年、次世代の学びを担うべく革新的な教育システムを携えた「神山まるごと高専」が誕生する。

その舞台となるのが山間ののどかな町、徳島県神山町だ。一見何の変哲もない田舎町だが、「地方創生の聖地」ともいわれる。

新たな学校の形を紐解く前に、まずは町の成功のキーマンである認定NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也氏に、神山町の再生から学校誕生までの道のりをうかがった。

※この記事は前編です。後編はコチラ


Text:Natsuko Sugawara,Kumiko Suzuki

※「神山まるごと高専」は認可申請中(2021年11月現在)での記事掲載
のため、学科名、教育内容などは、変更されている場合があります。
※2023年4月に開校。

大南 信也(おおみなみ しんや)NPO法人グリーンバレー 理事長
1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学大学院修了。1996年頃より「国際芸術家村づくり」に着手。全国初となる住民主体の道路清掃活動「アドプト·プログラム」(1998年~)や、「神山アーティスト· イン· レジデンス」(1999年~)などのプロジェクトを相次いで始動。2004年にNPO法人グリーンバレー設立。現在はグリーンバレー理事と神山まるごと高専設立準備財団代表理事を務める。

地方創生のロールモデル
徳島県神山町が描く「人材育成」

創造的過疎をコンセプトに
持続可能な町をめざす

神山町のサクセスストーリーを語るうえで欠かせない人物が認定NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也氏だ。神山町の町おこしは、大南氏が留学先のアメリカから故郷の神山町へ戻ったところからはじまったといってもいいだろう。

「家業の建設業を継ぐために久しぶりに帰郷して身にしみて感じたのは、ずいぶん町が寂れてしまったということ。けれども、これから私はこの町で暮らしていくわけですから。だったらワクワクするような町にしたい、そのためには何ができるだろうと考えました」

1992年、大南氏はグリーンバレーの前身の神山町国際交流協会を設立。その後、NPO法人となり、町おこしを本格化させるが、常にコンセプトに掲げているのが「創造的過疎」という言葉だ。

「日本の人口減少は早くから予想されていました。全国規模ですから、この小さな神山で人口減少をストップさせるのは土台無理です。だったら数を追うのはやめて、人口の中身を考えてみよう」

美しい里山に囲まれた神山町。
高専の生徒たちは雑音のない環境で、自然の営みを体感しながら学びに集中できる。


「クリエイティブな人材を呼び込むことで新しいことを起こしたり、中山間地域であってもビジネスの場としての価値を高めれば、農林業に頼らない持続可能な町になるのではないか」

「『創造的過疎』にはそういった意味が込められています」

こうした考え方を踏まえて着手したのが「神山アーティスト・イン・レジデンス」であり、環境を整備する「アドプト・プログラム」だ。

「アドプト・プログラムは国県道を2㎞ごとに区切ってスポンサーをつけ、行政の代わりに掃除をするというものです」

「実際にアメリカのテキサス州で行われていて、おもしろい仕組みだと思ってまねをしました。アートや文化を謳うのに道が汚かったらいけません。そのため環境とアートのプログラムを同時進行させました」

当時からアートによる町おこしは全国各地で行われていたが、「神山アーティスト・イン・レジデンス」はコンセプト自体がほかの地域とは明らかに異なる。

「私たちのような資金力のない団体は有名なアーティストを呼んだり、注目度の高い作品で観光客を呼び込むなどということはできません。もしほかと同じことをすれば埋もれてしまう」

「そこで視点を変えて、アーティストが滞在しやすい環境を整え、アーティストに向き合ったプログラムをつくろうということになりました。つまり、『創作活動をするなら神山だよね』といってもらえる場所をめざしたのです」

この試みが功を奏して毎年多数のアーティストから応募があり、神山町独自の「神山アーティスト・イン・レジデンス」は、じわじわと全国に知れ渡るようになる。

滞在中のアーティストによって森の中に制作された作品。
神山の自然を活かした創作活動ができるのも魅力だ。

「過疎であったり、資金がなかったりといったマイナスの要因も、発想を変えることでプラスに転じる。むしろ、おもしろいことというのはマイナスに思えることから生まれるのではないでしょうか」

この発想力がベースとなり、次の事業の「ワーク・イン・レジデンス」へと引き継がれていく。

「移住してもらいたくても仕事がない。ならば、仕事をもった人に来てもらおう、しかも神山に欠けている仕事を呼び込もうという、これも逆転の発想です」

「空き家物件に対して、この建物はパン屋、この建物はWEBデザイナーというふうに受け入れ側が職種を限定して募集しました。これをはじめたおかげで、町を自分たちでデザインできるようになったのです」

これこそ大南氏がめざした「ワクワクするような町」である。さらに、その一環としてグラフィックデザイナーや映像作家などのクリエイターを募集する「クリエイター・イン・レジデンス」を企画し、そのためのワークスペース用に古い町屋の改修工事をはじめた。それを手伝ったのがアメリカから帰国して間もない建築家の坂東幸輔氏と須磨一清氏だ。

須磨氏は現在神山町にサテライトオフィスを構えるSansan株式会社・代表取締役社長の寺田親弘氏と大学時代からの友人で、そのつながりから寺田氏は神山町に興味をもったという。

「以前から寺田さんは社員が自由な雰囲気のなかで集中して働ける環境を探していたようです。神山を見て即決でしたね。20日もたたないうちに社員3名を連れて来て、さっそく働きはじめました」

長い歴史をもつ高専に
新たな可能性を託す

いつしか神山町は先進的なクリエイターや発想力豊かな人材が行き交う場となり、そのうねりは新たな挑戦である「教育」へと向かう。

「寺田さんは神山に来た当初から教育事業に関わりたいと話していました。では、この神山で学校をつくるならどういう形がいいか。考え抜いた末に辿りついたのが『神山まるごと高専』です」

「高専(高等専門学校)は高度成長期には優秀な技術者を排出し重要な役割を果たしましたが、今は世の中が製造からサービスへシフトした。時代に合わせて高専のシステムもアップデートすれば、もっと新しい教育の在り方を提示できるのではないかと考えたのです」

「これも神山ならではの、小規模なサイズの学校だからこそできることだと思っています」

さまざまな取り組みがなされ、外から多様な人々が訪れるうちに、地元の人々の意識も少しずつ変化してきたという。


古民家をリノベーションしたサテライトオフィス。
ほかにも元縫製工場を改修したコワーキングスペースなどがある。

「クリエイターや起業家などは別世界の人だと思っていたけど、話してみたら同じ人間なんだと。確実に住民の意識が開かれてきました。それと、将来に希望をもつようになりましたね」

「例えば、『神山まるごと高専の第一期生が卒業する2027年までは俺も頑張るぞ』なんておっしゃるご老人もいます」

最後に、地域をあげて迎え入れる「神山まるごと高専」の生徒に一番学んでほしいことは何かを尋ねた。

「与えられた条件のなかで新しいことを生み出す能力です。それさえ身につければ、どんな時代でもどこにいても生きていけます」

それはまさに、魅力的な町に生まれ変わった神山町の歩みそのものといえるのではないだろうか。


〈神山まるごと高専に見る新しい学校のカタチ・後編〉未来を変える人材を育てる はコチラ


※掲載の情報は2022年1月1日現在のものとなります。


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