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日常の中の哲学 ~問いを深め、思考を深める「哲学対話」~

私たちが生きていくうえで哲学は必要なのか。
そもそも哲学とは何なのか。
他者とともに考える「哲学対話」を率先して行う哲学者の永井玲衣氏に話を聞き、誰もが手に取り日々の中で実践できる、等身大の哲学の世界へ導く。

Text:Natsuko Sugawara, Kumiko Suzuki
Photograph:Keisuke Nakamura

哲学者
永井 玲衣(ながい れい)

人々と考えあう場である哲学対話を幅広く行う。Gotch主催のムーブメント「D2021 」などでも活動。
著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。
詩と植物園と念入りな散歩が好き。


哲学とは世界のわからなさに立ち向かい
問い続けようとする〝態度〟である

不条理文学から世界を知るための哲学へ

「哲学」と聞いて、私たちは何を連想するだろうか。
難解な言葉の羅列、抽象的な概念、日常と切り離された真理の探究。哲学とは少数の〝賢者〟のための学問であると、多くの人は考えるのではないだろうか。
しかし、若き哲学者である永井玲衣氏が考える哲学は、それとは少し違う。
例えば永井氏は哲学的なもののひとつとして、芸人のお笑いネタを挙げる。

「サンドウィッチマンの寿司屋のネタで、ボケで店員役の富澤さんがお客さん役の相方の伊達さんに『何様ですか?』と聞くと、すかさず『何名様ですか? だろう』と突っ込む。

このコントがなぜおもしろいかというと、普通はお店に入ると『何名様ですか』と聞かれますよね。それが当たり前であるから私たちは『何様ですか』で笑ってしまう。
と同時に、なんで『何名様ですか』って聞かれるんだろうとか、『何名様』という言い方におかしみを感じたりとか、当たり前だと思っていたことに逆に疑いを持ち始めるんです。
当たり前の世界が揺り動かされる。
そこがお笑いの好きなところで、哲学と似ている点でもあります」

哲学と詩や文学、笑いはどれも似ていると話す永井氏だが、自身が哲学を志すきっかけは、十代の頃に読んだ文学にあるという。

「哲学に出合ったのは高校時代ですが、それ以前は自分を取り巻く世界がわけがわからなすぎて、怖くて仕方がなかったんです。
それで手当たり次第に本を読んで文学の世界へ逃げ込んだ。
私自身は文学に育てられたと言えます」

強く惹かれたのは、アルベール・カミュやフランツ・カフカが描く理不尽で奇想天外な文学世界。
「不条理」という概念を知って強く惹かれ、やがて哲学に行き着く。

「大学で哲学を学び始めますが、学べば学ぶほど『何もわからない』。
そのことにすごく感動したんです。
哲学者って賢くて何でも知っている人と思われがちですが、そうではなくて、率先して『ここがわからない』と問うてくれる人、それが哲学者なんだということに気づかされました」

哲学は学問ではなく日常的な営みである

永井氏が最も影響を受けた哲学者に、フランスのジャン=ポール・サルトルがいる。
大学時代は「好きすぎてサルトルに関わることばかりを研究していた」と言うほど傾倒した。

「彼は哲学者ですが、小説家であり劇作家であり、編集者、活動家でもあった。そして、たくさんの人と対話をした人でもあります。
常に彼の周りには仲間や若い人たちがいて、対話があった。彼の言葉はほかの哲学者と違って大上段に構えず、詩的で心にすっと入ってきます。
それは、サルトルがひとりで言葉を練りあげるより、他者と交わすことで言葉を育てる人だったからではないでしょうか」

サルトルに見る対話の重要性を、永井氏は「哲学対話」という方法で受け継ぐ。
哲学対話とは何か。
それを語る前に、永井氏は自らが考える哲学の在り方を教えてくれた。

「哲学は専門化された学問ではなく、日常的な営みだと私は捉えています。
その営みとは、なぜだろうと思ったり、当たり前のことを本当にそうかと疑ってみたりすること。心のどこかに引っかかっている〝問い〟に向き合い、立ち止まって考えてみること。
それが哲学だと思っています」

「哲学対話」は輪になって座ることからスタートする。
資料や道具は 必要なく、自分の言葉で語ることが大切。
©︎八木咲


哲学対話から得られるもの
分かち合えること

永井氏はそれを「手のひらサイズの哲学」と呼んでいるが、その意味では哲学はすでに誰もが実践していることであり、その誰もが抱えている心のモヤモヤや等身大の問いを、人々と対話の場を設けて互いに聞き合い、深め合っていくという行為が哲学対話に当たる。

すでに欧米では広く実践されているが、永井氏も学校や企業などで哲学対話の場を開く活動を長年続けている。その理由のひとつに、今の社会に対話する場が少なくなってしまったという永井氏の問題意識がある。

「これからは、意識的に対話の場をつくることが大切だと考えています。
参加する方々にもそれを伝えて、この場が対話的であるための約束事をします。ルールというよりも皆でする約束ですね。

3つあって、よく聞くこと、自分の言葉で話すこと、『人それぞれでしょう』で諦めないこと。
今の世の中って、『急いでしゃべって、考えを変えない』ことが良いとされますよね。急がなきゃいけないし、沈黙を避けてしゃべりまくらなくてはいけないし、考えを変えてしまったらいけない。
でも、哲学対話では、ゆっくり対話をするし、よく聞くし、変わるんです」

ある企業で行った哲学対話のエピソードが興味深い。
参加した社員が終了後にこんな感想をもらした。

「とても印象に残っているのですが、『部長って人間だったんだ』と言ったんです。すごくいい言葉だなと思って。
その社員の方は、部長は部長という自分とは違う生き物だと思っていた。でも、その部長さんが対話の中で『なぜ死ぬのが怖いんだろう』みたいな問いをふと口にするわけです。
すると『ああ、部長も自分と同じ人間なんだ』と気づいて、違う関わりを持てるようになる。
つまり、対話を通じて部長さんと出会い直すことができてしまう」

あるいは、初対面の人同士で行う哲学対話の場合は、参加者は思いがけない他者とのつながりを感じるという。

「普段は人に話さない心の中のわだかまりや切実な問い、共有できるはずがない想いを、わかってもらえるとは思ってもいなかった他者と分かち合える。そのことにとても驚いて帰られる方が多い。
実際、それは私自身も常に感じることですね」

また、小学生以下のこどもを対象に哲学対話を行うこともあるが、そんなときのこどもたちの問いは絶妙なのだそう。

「静岡にあるお寺でやったときなどは、『富士山は必要か?』なんてびっくりするような問いもありました。
あとは、『悪いことって、正しくないことなの?』という小学校2年生の子の問いもすごく印象的。
お母さんに怒られて、『それは悪いことだよ』と言われて、『悪いことって何?』と聞いたら『正しくないこと』という答えが返ってきた。でもそれはちょっと違う気がするんだよね……と言うんです。
本当にこどもの言葉は詩みたいで、キラキラしていて楽しいですね」

けれども、いざ対話が始まると、突然こどもたちが社会化した言葉を話し始めることがある。

「いい会社に入るために学校へ行ったほうがいいとか、お金があるほうが幸せだとか、どこかで聞いた言葉をしゃべり出すんです。
こどもは大人の言葉を食べていますから、単にそれを吐きだすだけなのですが。『本当にそうなの?』『それでいいの?』と問い返すところから、本格的なこどもたちとの対話が始まる気がします」

果てしない問いを生む「聞く」ことの難しさ

幾度となく「こんなに人に話を聞いてもらったのは初めて」と涙まで流す人を見てきた経験から、「聞く」「聞かれる」という場が社会の中で消えつつあることを永井氏は切実に感じている。

「やっぱり私たちは『聞かれていない』とどこかで思っているんですよね」

危機感を覚えながらも、しかしそれとは別に、ここでまたひとつの問いにぶつかるという。

「自分の言葉を聞いてもらってうれしいという一方で、『自分は人の話をちゃんと聞けているのだろうか』という問いかけも同時に生まれます。
聞くことはとても難しくて、私もいまだによくわかりません。
黙って聞けばいいわけでもない。言葉を理解することなのか、相手に寄り添うことなのか。果てしない問いに襲われるのです」

永井氏が幼い頃に感じたように、この世界は複雑であらゆることが容易にはわからない。だからこそ小さな問いを重ね、わかろうとすること、わかり合おうと対話する姿勢が大切だ。
そして、その姿勢こそが「哲学」と呼ぶに相応しいのだろう。


哲学入門
~心に響く哲学者の言葉たち~

哲学者とは、そもそも誰を指すのだろうか。
「誰もが哲学をしている。哲学は私たちのもの」と指摘する永井氏が選んだ、世界のわからなさに立ち向かい、問い続ける〝哲学的態度〟を実証する4つの言葉を紹介しよう。

『言葉』
自らの誕生前の家系から筆を起こし、幼年時代をつぶさに語った自伝的フィクション。「言葉」との闘いの跡を示す、「文学的」自伝の傑作。
[ 著者 ]ジャン=ポール・サルトル
[ 訳者 ]澤田 直
[ 出版 ]人文書院
[ 定価 ]3,300 円(税込)

「世界というものはすぐにわからないもの。理解しようとしてもしぶとく抵抗してくる。彼はそれを『世界の厚み』と言っていて、まさしくそうなのです。『世界はまだまだある』という視点が、哲学的態度だと思います」(永井氏)


『マルテの手記』
(新潮文庫刊)
デンマーク出身の売れない青年作家マルテ。
パリで厳しい孤独や貧しさと戦いながら、生と死の不安に苦しむさまを描いた長編小説。
[ 著者 ] ライナー・マリア・リルケ
[ 訳者 ] 大山定一
[ 出版 ] 新潮社
[ 定価 ]649 円(税込)

「哲学は物事をよく見ること、よく観察することが重要です。
『世界はこういうものだ』と決めつけるときは、見ていないし、聞いていない。世界をよく見れば〝問い〟が生まれる。
そんな哲学的態度が伝わる言葉です」(永井氏)


『書を捨てよ、町へ出よう』
天才アジテーターと称される寺山修司のエッセイ。
家出の方法やハイティーン詩集、競馬、ヤクザになる方法などが盛り込まれた挑発の書。
[ 著者 ]寺山修司
[ 出版 ]KADOKAWA/角川文庫
[ 定価 ]748 円(税込)

「彼はとても〝問い〟を持つ作家です。これは『書を読むな』という意味ではなく、『町に出て人々と対話せよ。人々と出会って関わり、言葉を紡いでいこう』ということを言っています。
まさに哲学対話の実践そのものです」(永井氏)


『シーニュ 1』
20世紀のフランスを代表する思想家・哲学者、モーリス・メルロー=ポンティ。
死の前年に著者によってまとめられた代表的論集の一冊目。
[ 著者 ]モーリス・メルロー=ポンティ
[ 訳者 ]竹内芳郎
[ 出版 ]みすず書房
[ 定価 ]6,270円(税込)

「哲学の言葉は人生の在り方や手触り、手のひらサイズの部分から遠く離れて上から語ってしまう怖さがある。
でもこれは抽象的な概念ではなく、『私たちが今ここで生きる手触りがあるものだ』ということを語っています」(永井氏)


哲学対話のすすめ
~約束事とその重要性~

永井氏がさまざまな場で実践している「哲学対話」。
難しく捉えがちな哲学を、日常的なものとして触れるための優れた方法と言える。実際にどのようにして行うのか、またどのような約束事があるのかを教えてもらった。

「哲学対話」の意義は、普段の生活の中でモヤモヤしていることを、互いの声を聞き合いながら深めたり、解決していくことにある。
特別な場所や道具は不要、決まったマニュアルがないのも大きな特徴だ。
永井氏が行う場合の流れを解説してもらった。

「哲学対話はどんな場所でもできます。
企業やNPO、ライブ会場でやることもありますよ。参加者は3人以上、10人くらいが目安で、まず輪になって座ります。
それから私がどんな場なのか、対話的に進めるためにどんな約束事があるのかを説明します」

次に自己紹介をしたあと、〝問い〟を出し合って決め、対話をスタート。緊張感のある議論の場とか失敗したら終わりという場ではなく、互いの声を聞き合いながら深めていく場であるため、言葉使いに気を配ることも多い。

「以前は自分の役目をファシリテーター(進行役)と呼んでいましたが、全員が積極的に参加できるよう、この言葉は使わなくなりました。
私がまとめたり管理するのではなく、私自身も一緒に悩むし、困ったときは誰かに助けてもらう。
お互いに助け合って場をつくることを心がけています」

対話の場をつくるための3つの約束

自分自身が引っ掛かっている〝問い〟を言葉にするためには、表現しやすい場でなくてはならない。そのためにも決まり事をイメージさせる「ルール」で縛るのではなく、皆で「約束」をして対話しやすくするのが秘訣だ。

🔵Promise 01
自分が「話す」以上に相手の話を「聞く」ことを重視

対話というと自分が何を話すかに集中しがちだが、それよりも大切なのは人の話をよく聞くこと。
普段から人の話をよく聞く習慣は、思いのほか身についていない場合が多い。

🔵Promise 02
誰かの言葉を引用するのではなく「自分の言葉」で話す

例えば、哲学者や偉人などの言葉を引用して知識をひけらかすのはNG。誰かの借りものの言葉では対話は長く続かない。
流暢な話し方でなくても、自分の言葉で話すのが大切。

🔵Promise 03
「結局は人それぞれでしょう」と対話や思考を停止させない

自分と違う考えが出てくるたび、「人は人、自分は自分」と切り離してしまっては対話が成り立たない。
哲学の神髄は〝問い〟だからこそ、「なぜ違うのか?」を問うてみよう。


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〈番外編〉
哲学対話の始め⽅

知識も道具も必要なく、3⼈以上集まれば始められる「哲学対話」。
⾒知らぬ⼈同⼠でもいいし、⼀緒に働いている会社内の⼈たちでもいいし、「その気になればいつでもできます」と話す永井さん。

とはいえ、「対話をしよう」と⾔われても、多くの⼈は躊躇してしまうのではないでしょうか。

「でも、対話って⼤事なんですよね。⼀緒に考えたり、⾃分の⾔葉で話したりすることは絶対に必要なんです。
⼀歩踏み出せない⼈は、対話へ踏み出すための〝⾔い訳〟として哲学対話を使ってほしい。
ちょっとおもしろそうだからやってみない? くらいの気持ちで、気軽に始めていいと思います」

⾃分の中に「問い」が⾒つからなかったり、はたまた他⼈と意⾒が合わなかったり、⼼に余裕がなくて相⼿の⾔葉をうまく聞けなかったりしたら?

「どんな⼈でも取り替えの効かない⾔葉があって、切実な問いがあります。話す場がないから何もないと思い込んでいるだけです。
また、他⼈と意⾒がまったく同じであることは絶対にあり得ません。意⾒が違うから話し合えないのはちょっと危うい。
⼀⼈ひとり違うけど、その違いを保ちながら重ね合わせたり、どう違うのか考えたりすることが対話の道のりです」

哲学対話では、思わず⼈の話を聞きたくなって、その問いが参加者全員の問いに変わることがあると⾔います。

「『居⼼地が悪いってどんなこと?』という問いが出たことがあって。
シェアハウスで⼀緒に暮らしていた友⼈が居⼼地が悪いと⾔って出て⾏ってしまった。それはどういうことなのか、⾃分ひとりじゃわからないから皆で考えたい。
すごく切実な問いで、そう⾔われると誰もが思わず聞いてしまうし、その問いが皆のものになって、その瞬間、⼀⻫に皆がしゃべり出すんです。
例えば、職場の居⼼地が悪くて……みたいな⾃分の悩みを」

対話はその場その場で形が違うし、良い対話、悪い対話というような優劣もないそう。

「得られる結果より、対話のプロセスや体験そのものが⼤切。
難しいことは考えず、まずはチャレンジしてみてください」


※インタビューの情報は2025年2月1日現在のものとなります。



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Podcast 「THIS IS US Powered by SAISON CARD」にてインタビュー配信!

永井玲衣さんのお話を、音声でお聴きいただけます。
2月21日(金)・28日(金)
の更新をお楽しみに!



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