書の世界を切り拓く ~異文化の出会いが生み出すもの~
ジャンルが異なる芸術家とのコラボレーションで、書の世界に新たな風をもたらす書家の白石雪妃氏。
出会うことで高まる感性や創造性について語っていただき、邂逅から生まれる新たな価値を考える。
Text:Natsuko Sugawara
Photograph:Keisuke Nakamura
書の道を探求し、伝統を踏まえながら
自由で革新的なスタイルをめざす
あらゆる表現に挑戦し書の可能性を広げる
音楽が鳴り響く舞台に立ち、まるで導かれるかのように滑らかに筆を運んでいく。
観客はいったい何が書かれようとしているのか想像もつかず、ただ息を吞んで見守る━━。
そんな独特のライブパフォーマンスで人々を魅了する書家の白石雪妃氏。書の枠に捉われない革新的な創作活動に目を奪われるが、その才能は伝統的な書道の技法に裏打ちされている。
書に出合ったのは幼少期。習い事のひとつとして始めた習字がきっかけだ。
「なぜか初めから筆を持つと文字がうまく書けたんです。ですから、こどもの頃は大きくなったら習字の先生になりたいと何とはなしに思っていました。書家になるなどとは当時は考えもしませんでしたね」
けれども、本格的に書道を学ぶうちに書の奥深さに惹かれ、「さらに深く学びたい」と思うようになったという。
「書道はいくら学んでも終わりがありません。師範を取っても修行は続きます。費用もかかるので、会社勤めをしながら10年近く勉強を続けました」
22歳で師範を取得してからは、これまで学んできた伝統的な書を超えて、より自由でオリジナルな作品を書きたいと思うようになった。
その後、一念発起して会社を辞め、書に専念しようと決意する。
「このとき、書くことならどんなことでも引き受けようと決めました。これは今でも変わりません。
お客様からオーダーを受けて与えられたテーマで書いたり、書道の教室や講義を依頼されたりすることもあります。ときには紙ではなく、壁に書いたり布に書いたりすることも。
最初は抵抗がありましたが、挑戦することで得るものが必ずある。書くことなら何でもやろうと決めて、結果的に自分の書の可能性が広がったと感じています。
おかげで今は〝書く〟という行為を通じて、さまざまなことと関わることができています」
書という芸術に見るジャズの即興性
白石氏の自由で幅広い創作活動を端的にあらわしているのが、ジャズミュージシャンとのコラボレーションによるライブパフォーマンスだ。
ジャズと書。
一見、何のつながりもない2つを結びつけたのは、ジャズの巨匠、マイルス・デイビスの代表作『Kind of Blue』だという。
「昔から音楽は好きでジャズも聴いていましたが、このアルバムのライナーノーツを読んで衝撃を受けました。名ジャズピアニストであるビル・エヴァンスが書いていて、ジャズという音楽と日本の視覚芸術の共通性について言及しているんです。
両者とも鍛錬を積んだうえに成り立つ一回性のものであると。
確かに、筆で書く一本の線はそのとき限りで二度と同じ線は書けません。そこは、音楽の中でも即興性の強いジャズと非常に似ています」
感銘を受けた白石氏はジャズミュージシャンと即興性をテーマに対談するなど交流を深め、誘われて一緒にステージに立ちライブパフォーマンスを行うようになる。
禅とも関わりがあり、静謐なイメージのある書が、即興で交わされる音の渦の中でどのように生み出されるのだろうか。
「ひとりで書くときと違い、その場で考えてエネルギーを集中させて、それを瞬時にアウトプットするというのはかなり大変な作業です。
でも、それが新鮮でおもしろい。
私自身はクラシック音楽を聴いて育ち、今もホルンを楽団で演奏しています。
ジャズは好きでしたけど即興なんて知識も経験もまったくなくて、最初は慣れずに固まってしまうこともありました。ただ、そんなハプニングも観客の方には却ってライブ感が伝わって好評だったりする。
ですからあまり余計なことは考えず、共演するミュージシャンが奏でる音や空間、その場の雰囲気、観客の反応など、さまざまな要素に〝導かれる〟ような感覚で創作しています」
ライブはテーマだけを決めることもあれば、完全な即興で行うこともある。いずれにしろ即興性が高い。
作り込むことによって完成するアートではなく、そのとき、その場でしか目撃することができない、ある種の総合芸術。
それが、ジャズと書によるライブパフォーマンスの最大の魅力だと言えるのかもしれない。
何事も〝出会う〟ことから始まる
ジャズミュージシャンとの共演以外にも漆芸家、華道家、写真家、アクセサリー作家など、白石氏は多岐に渡るジャンルのアーティストとコラボレーションをしている。
それは自身にとって新たな挑戦であり、自らの書の可能性を広げるための手段でもあるという。
「今、興味を持っているのは建築。建築というか空間ですね。
書は平面で表現されますが、その中で余白をどうとるかが大切になってきます。
私は平面であれば、どんなに広い面積でもうまく余白をとる自信はありますが、それが空間になると途端に難しくなる。つまり空間認識が苦手なんです。
そういう意味でも挑戦ではありますが、建築家の方と空間をテーマに創作してみたいと思っています」
そう考えるようになったのは、実際にある建築家と話をしたことがきっかけだそうだが、白石氏のコラボの起点には常に〝人との出会い〟がある。
「たいていはその人の作品を好きになったり、その人自身に興味を持ったりということが始まりですね。
好きな人や作品に出会うと、それらをオマージュして何かを作りたくなります。
絵画や美術、詩や文学も同じで、私は近代美術画家のマーク・ロスコが好きですが、ロスコの抽象画を深く理解したうえで書へと落とし込む、という創作をすることもあります。
詩ならポール・ヴェルレーヌ。
フランス語がわからないので訳書で読みますが、数ある訳の中でも堀口大學の訳がすごく好きで。すてきだなと感じて、読後に作品を書きたくなることもありますね」
白石氏が好んで書く言葉のひとつに、「我逢人(がほうじん)」という禅語がある。
出会いの尊さをあらわし、「出会うことがすべての始まりである」との意味が込められている。
まさに白石氏の創作の原点とも言える言葉だ。
書をとおして世界へ。作品に込める想い
その言葉に導かれるかのように、これからは海外へも活動の場を広げ、より多くの人と出会い、書の魅力を積極的に伝えていきたいと話す。
「今も度々海外へ作品展やワークショップをしに行きますが、あるとき、手本を見ながら太い線を塗りつぶしてしまう方がいたんです。筆で書くことが一番の醍醐味なのにそれを知らない。
少しでも書のおもしろさを広めたいと思うようになりました」
それと同時に、書道に宿る精神性に未来への希望を託す。
「ひとりでも多くの人が私の作品をとおして書の本質に触れ、物事が少しでも良い方向へ進めばと。
些細な影響かもしれませんが、私の書が回りまわって世界の平和につながることを心のどこかで願いながら創作しています」
出会いによって新たな作品が生まれるように、白石氏の書と出会うことが世の中に良い兆しをもたらし、平和への小さな始点になるかもしれない。
競技団体とのコラボレーション
ミッションを書に込める
依頼を受けて書を創作するときは、クライアントの想い、団体のミッションを深く理解し書へ落とし込む。
作品として具現化するためのプロセスなど、白石氏の創作の流れをひもとく。
【JFA】
選手たちのエネルギーを「円陣」の二文字で表現
FIFAワールドカップ2014ブラジル大会にて、日本代表ユニフォームのコンセプトに掲げられた「円陣」を揮毫。
「サッカーに関してはじつはまったく詳しくなくて、創作の前にテレビで試合を見続けてイメージを膨らませました。本当は生で観戦したかったのですが……」と言う白石氏だが、仕上がった書は男性が書いたと思わせるほど力強い。
試合で発する選手たちのエネルギーをそのまま書へと写しとめた。
【パリ2024】
世界中の人に伝わるよう絵や英字を加えて表現
パリ2024ではレセプションでパフォーマンスをしたり、書道のワークショップをするなどチームジャパンの応援とともに日本文化の普及に務めた白石氏。
さらに32競技すべてを書で表すという大仕事も果たした。世界中の誰が見てもわかる方法でスポーツを表現すべく、絵や英語の文字を作品に取り入れるという新しい試みも。
「選手の尊さや勇気、忍耐力、躍動感を伝えたいと願って書きました」(白石氏)。
アーティストとのコラボレーション
異文化との邂逅から生まれるもの
さまざまなジャンルのアーティストと創作活動を行い、新たな書の一面を見せてくれる白石氏。
これから開催されるライブや作品展もあるので、書と他芸術が邂逅する瞬間を実際に体感してみよう。
【即興演奏✖書】
無意識下で繰り広げられる即興の音と書
トランペット奏者の類家心平氏と即興ユニット「ZANKÔ」を結成し、ライブ&エキシビジョンを開催。
音の記憶を含んだ書と、描かれたものに触発された音とが織りなす時間と空間を体験し、自らの感性を磨きたい。
【漆✖書】
日本伝統の漆と書が出会い、響鳴し合う
「blaCk eCho」は過去と現在をつなぎ、未来に向けて創造的な響鳴を生み出す、漆芸家の楠田直子氏とのコラボユニット。
漆工技法のひとつである乾漆と白石氏の書によって生み出された作品には唯一無二の存在感が宿る。
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〈番外編〉
誰もが体感できる書の醍醐味
幼い頃からずっと書道と向き合い続けてきた⽩⽯さん。
⻑い間、⽩⽯さんを惹きつけてきた書の魅⼒とは何なのでしょうか。
「書を創作するときの感覚は、じつは⾳楽と同じなんです。
私は今も吹奏楽団でホルンを演奏しているんですけど、たくさんの楽器が⼀体となって⾳楽を奏でると気持ちがとても⾼揚します。
そういう⾼揚感はほかではなかなか得られないものですが、それと同じ感覚を書いているときに味わうことがあるんです。
⾳楽の場合は、多くの演奏者が楽団として⼀体となって演奏することで初めてもたらされる感覚ですが、書の場合はたったひとりでもそういった⾼揚感が味わえる。そこが書の魅⼒、書く醍醐味ですね」
例えば、美しい線が書けたとき、絶妙な余⽩が作れたときなど。
「でも、それはいつもではなくて、⾃分の気持ちや体の状態、湿度による紙の状態、墨のすり具合など、なかなかコントロールできない条件がすべて整ったときにしか味わえない感覚ではあります」
では、書道の初⼼者が体験できるような感覚ではないのでしょうか。
「そんなこともありません。
初⼼者や何⼗年ぶりかに筆を持つという⽅も私が教える教室にいらっしゃいますが、1時間くらい基本をお伝えして、楷書ではなく創作として⾃分の作品を書いてもらいます。
すると、皆さん本当に没頭されていて、書くこと⾃体をとても楽しんでいらっしゃいます」
書の魅⼒を味わうという意味ではうまいへたは関係なく、誰もが書道の醍醐味を味わえると断⾔する⽩⽯さん。
書がもたらす特別な感覚を求めて、あらためて書道を学び直すのもいいかもしれません。
※インタビューの情報は2024年12月1日現在のものとなります。
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