別世界へと誘うオペラハウス ~歌声が織りなすドラマを体感しよう~
オペラ界のレジェンドと言えるテノール歌手ホセ・カレーラスが、2024年11月に来日する。
彼の自伝の翻訳者でもある昭和音楽大学教授・酒巻和子氏を迎え、カレーラスの歌声の魅力、そして芸術世界へ誘うオペラハウスについて、その歴史とともにひもといていこう。
Text:Natsuko Sugawara
表紙写真:リセウ大劇場 Ⓒ AWL Images /アフロ
歌声やオーケストラ、演劇、舞台美術
あらゆる芸術要素がオペラハウスで融合する
歌詞を伝える手段として
始まった独唱のスタイル
オペラとは、作品全体が音楽によって語られる劇であり、舞台芸術の一種である。
登場人物の独唱が中心となって物語は進んでいくが、数人の重唱やときには合唱、それを伴奏するオーケストラの器楽演奏までが加わり、ひとつの作品であらゆる音楽要素が繰り広げられる。そこへ演劇あるいは舞踏の要素、舞台美術の要素などがさらに含まれてくるのだ。
「それが、ロマン派オペラの巨匠ワーグナーがオペラを〝総合芸術〟と呼んだゆえんです」
と話すのは、昭和音楽大学教授の酒巻和子氏。
しかし酒巻氏によると、初期のオペラは決して華美なものではなかったという。
「オペラが誕生したのは16世紀末のイタリア・フィレンツェ。音楽家や文人たちのグループによる古代ギリシャ劇の復興をめざした、いたってアカデミックな活動から始まっています。
当時は教会音楽をはじめとする合唱が主流でしたが、旋律が複雑にずれて重なるような合唱では重要な歌詞がよく聴き取れません。
そこで、ひとりで歌いあげる独唱の形式が登場しました」
この独唱のスタイルこそが美しく力強い歌声で観客を魅了するオペラ歌手の存在を生むことになる。
「オペラ歌手はオーケストラの伴奏でマイクを使わずに歌います。そのためオーケストラに負けないよく通る声、つまり高度な発声のテクニックが必要です。
加えて求められるのが、聴く人の心を揺さぶる表現力。その点、ホセ・カレーラスは唯一無二の才能と言っていいでしょう」
ホセ・カレーラスは故ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴとともに長年「三大テノール」としても名を馳せた世界最高峰のテノール歌手だ。オペラの舞台からは退いたが熱烈なファンは絶えることなく、今もなお世界各地でコンサートを行っている。
彼の歌声の魅力を知るには、オペラの中の「アリア」を聴くのがおすすめだという。
「アリアとは、劇中の印象的な場面で歌われる独唱曲です。
カレーラスが歌うアリアは非常に抒情的で、人の心を惹きつける何かがあります。実際、アリアは美しい旋律の曲が多く、登場人物の想いが込められたオペラの中でも聴きどころと言っていいでしょう。
オペラ初心者はこのアリアから聴き始めると、オペラのすばらしさを理解しやすいかもしれません」
歌声の世界へ引き込む
オペラハウスの空間
総合芸術であるオペラにおいて、音楽と同様に重要な役割を果たすのが歌劇場=オペラハウスだ。
「オペラはもともと祝賀行事の期間に上演され、オペラハウスは貴族の社交の場でもありました。それゆえヨーロッパのオペラハウスは格式高く華やかな雰囲気が漂っていて、オペラを鑑賞することで日常と異なる贅沢な時間を過ごせますし、人々と芸術の架け橋となる場所でもあります。
もちろん音響や舞台装置などの機能もすばらしい。場面転換の仕掛けや、舞台より一段低い場所にあるオーケストラピットなど、通常の音楽ホールにはないオペラのためだけの創意工夫が凝らされています。
また専属のオーケストラや合唱団がいて、個々のオペラハウスで特色を出しながら運営しているのも特徴です」
ヨーロッパの各都市にはオペラハウスが大小いくつも点在するが、世界三大オペラハウスとして挙げるなら、ウィーン国立歌劇場、ミラノのスカラ座、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の3つが妥当だろう。
「ウィーン国立歌劇場は1869年に建設され、グスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスといった著名な作曲家が総監督を務めたことでも有名です。
世界的な指揮者のカラヤンも芸術監督を務め、のちにカレーラスもここでカラヤン指揮の『ラ・ボエーム』(プッチーニ)に出演し大成功を収めています。
カレーラスはキャリアの絶頂期に白血病を患いますが復活を果たし、復帰の場所に選んだのもこのウィーン国立歌劇場です。そのときの聴衆の熱狂ぶりがすごかったと聞くので、カレーラスと縁が深いオペラハウスとも言えますね」
一方、スカラ座は名だたるオペラ作品の初演の舞台となった名歌劇場だ。
「ベッリーニやヴェルディの作品、20世紀に入るとプッチーニの『蝶々夫人』『トゥーランドット』といった誰もが知る名作の初演が軒並み行われたのがこのスカラ座です」
ミラノを象徴するドゥオーモを通り過ぎると、スカラ座のある広場が見えてくる。外観は決して目立たないが、中へ入ると煌びやかな内装が施され貴族的な雰囲気を味わえるという。
「カレーラスのスカラ座デビューも非常に印象的だったようです。
頭角を現してきた28歳の頃ですが、イタリアオペラを代表するヴェルディの『仮面舞踏会』でリッカルド役を演じ、辛口で知られるスカラ座の聴衆から大喝采を浴びたという逸話が残っています」
残るひとつはヨーロッパではなく、アメリカ・ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場だ。「MET(メト)」の愛称で知られる巨大なオペラハウスで、ニューヨークのビジネスマンたちが出資して建てられた。
現在も国や市の後ろ盾はほとんどなく、大部分をチケットの売上げや民間企業と一般の人からの寄付で賄っているそうだが、そんな独立気風もアメリカらしい。
「当初はブロードウェイにありましたが火災に遭い、1966年に現在のリンカーンセンター内に新設されました。
収容人数が約4,000人で世界最大規模。ポピュラーで豪華なキャストをそろえることでも有名です。
カレーラスも病が発症する直前の87年に、ここで『カルメン』(ビゼー)のドン・ホセ役を情熱的に演じています」
現在メトロポリタン歌劇場では「METライブビューイング」と称し、オペラ公演を世界中の映画館にライブ配信している。日本は時差の関係で録画になるが、大画面でオペラの迫力をオペラハウスで観るかのように体感できるまたとないチャンスだ。
「オペラというとハードルが高いイメージがありますけど、こういった試みによってぐっと身近なものになりつつあります。
ライブ配信は日本語字幕付きですが、今はオペラハウスでも各国語の字幕サービスが工夫されています。筋がわからなくなることもないので気軽に、しかもより深くオペラを楽しめますよ」
予備知識は必要ない。絢爛たるオペラハウスの空間に身を置けば、めくるめくオペラの世界へ没入していくはずだ。
ホセ・カレーラスが奏でる軌跡
オペラ史に残る名シーン
世界最高峰のテノール歌手として長きにわたり活躍するホセ・カレーラス。
白血病を患いながらも復帰を果たした彼のオペラ歌手としての軌跡を、歴史に残る名公演と一緒に振り返る。
● ● ● ● ●
●
〈番外編〉
海外でのオペラ体験
日本にも新国立劇場のようなオペラや舞踊専用の舞台を持つ劇場はありますが、ヨーロッパのオペラハウスでオペラを観ることは、どんな驚きや感動があるのでしょうか。
以前にウィーン国立歌劇場へ訪れたことがあるという酒巻氏は、そのときの体験をこんなふうに話してくれました。
「大学の『海外研修』という科目で、私は学生の引率として一緒に行きました。オペラ公演は夜なのですが、学生たちはその日は朝から『何を着ていこう?』なんて言ってソワソワしていましたね。
演目はヴェルディの《リゴレット》。主役のマントヴァ公爵はイタリア人テノール歌手のジュゼッペ・サッバティーニでした。
暗くなってから行ったせいか、オペラハウスの内部は荘厳で煌びやかな様子がいっそう引き立って見えて、ちょっと圧倒されました。
私の席は舞台に向かって右側面の2階桟敷席で、舞台の右奥が見えにくい席でした。でも代わりにオーケストラピットの中が斜め上からとてもよく見えました。それが本当に興味深くて、オペラの演技と一緒にオーケストラの演奏もたっぷり堪能したのを覚えています」
オペラの舞台はもちろんすばらしいけれど、オペラハウスの醍醐味はそれだけではないそう。
「オペラハウスに漂う気品あふれる空気、観客たちの立ち振る舞いなどもすてきです。例えば、ヨーロッパの方たちは休憩のときに静かに会話を交わしながらワインを傾けます。
そんな姿も絵になっていて、洗練された贅沢な時間を存分に味わうことができます」
そのほか、ヨーロッパでオペラを観るなら野外歌劇場もおすすめだと言います。
「私が行ったのは、イタリアのヴェローナにある『アレーナ』という野外歌劇場です。
古代ローマ時代の円形闘技場ですが、夏の間はオペラ公演が行われます。座席は石の階段席か平土間。階段席では入口でひとりずつピンライトを渡されて座り、日が暮れてくるとそれが徐々に点灯します。
とても幻想的な雰囲気で、そんな中で鑑賞するオペラは一生の思い出になりますね」
難しいことは考えず、まずは旅気分で「オペラのある空間」を楽しんでみるのもいいかもしれません。
●
● ● ● ● ●
※インタビューの情報は2024年4月1日現在のものとなります。
❖このインタビューを音声でCHECK!
Podcast「THIS IS US Powered by SAISON CARD」
👇こちらの記事もおすすめ!