経営者に聞く革新のストーリー【宮城 徹氏】~vol.1~
先人から受け継いだ知見と経験を次世代に継承し、新たな技術により、さらなる革新へとつなげていく。
そんなリーダーたちのインサイドストーリーをご紹介。
今回は、「挑戦者を支える世界的な金融プラットフォームを創る」というミッションを掲げて2018年に創業、法人カード「UPSIDER」や請求書カード払いサービス「支払い.com」など企業の決済業務における課題を解決するサービスを展開し、最先端フィンテック企業となった「株式会社UPSIDER」。
同社の創業者である代表取締役の宮城徹氏に、ご自身の背景や原点、革新のストーリーについておうかがいしました。
宮城さんの生い立ちについて
東京のど真ん中、自分で言うのもなんですが、安定した家庭で生まれ育ち、明るく社交性のある活発なこども時代でした。
それがある時、父の勤務先の経営が傾き始め、経済的に苦しくなりました。私自身もそれまでは目を輝かせながら海外留学などを夢見ていたんですが、いきなりそういった選択肢も取りづらくなり、そこから一気に内向的になりました。
学校に行っても授業には出ず、ただひたすらグラウンドでボールを蹴る毎日……。そんな学校生活を送っていました。
そこから東大に現役合格
金銭面への配慮から、私立に行きたいとは言えない。浪人も選択肢としては考えにくいなか、狙うは国公立大学一択でした。内向的で友達づきあいも悪かったので、勉強に集中する時間ができたことも大きかったです(笑)。
大学に入ったときは革ジャンに金髪でちょっとひねくれた感じで(笑)。
学校にいても、誰も声をかけてくれない。授業にもあまり出席しない。そんな学生でしたね。
主将を務めていたスキー部での経験
東大スキー部は長野に拠点がありました。大学スポーツで人気のラクロスなどとは違って、個人競技で少人数、いかにもマイナースポーツという感じ。ただ、父親が山形県出身で幼少の頃からスキーに慣れ親しんできた土台もあり、始めました。それまではサッカーをしていたのですが、好きだったけれどあまり活躍できなかったというわだかまりもあり、積極的な理由というよりは、スポーツで体力が活かせて、あまり人とつるむ必要はなく、社会から隔離されたところ……。などが、性に合い、のめり込みました。
当時の東大スキー部は、国立大学の中ではトップクラス。活躍している先輩たちもたくさんいらっしゃいました。でも、私が2年生の時に部が消滅の危機に。長い歴史のある部活でしたし、私が誘ったメンバーも多数いましたので、ここは何とか存続させたいと。メンバーたちにも残って頑張っていこうと話し、主将に就任したのが3年生の時でした。それ以降は、部存続のために資金集めに奔走する毎日で、大学の授業にも出席することができず見事に留年しました(笑)。
どん底を体験し、そこから這い上がる過程も一緒に歩んだ同志たちは、私の人生においてかけがえのない資産になりました。OBの皆様に「おまえたちしかいない」と期待していただき、その期待に応える。結果、「頼んでよかった」と言ってもらえる。その時の心意気と仲間をまとめ上げる感覚は、現在の仕事のベースにもなっています。
その後、私が現役の間はスキー部として良い結果は出せなかったですが、卒業後に組織を引き継いだ後輩たちが、また競技に集中できる環境に戻ったことをうれしく思っています。
大学卒業後は、
マッキンゼー・アンド・カンパニーへ
大学3年次の就職活動は、正直、気持ちが入っていなかったんですよね。
当時、自分の目の前にはスキー部の存続・立て直しというミッションがあって……。
日系の大企業を数多く受けたのですが、見事に全部落ちました。今思うと、自分自身、本腰が入っていなかったですし、そこを見抜かれてもいたのかなと思います。
たまたまとある方に外資系でも受けてみたら、と言われて、再び就職活動したのが4年生の秋です。当時は英語が喋れず、外資系というタイプでもなかったのですが、縁あって、コンサルティング会社のマッキンゼーにオファーをいただきました。
マッキンゼー入社直後の働き方
それまでは、常に人と違う道を、リスクを取って、誰かの期待を背負ってやってきたんですが、就職してしばらくはリスクを取らない。そんな生き方、働き方でした。
案の定、全然活躍できずに最初の1年くらいを過ごし、本当にクビを切られる直前までいきました。自分はなぜここにいるんだろうと自問自答していました。
当時のマッキンゼーのメインストリームであった製造やヘルスケア業界の担当になれず、社内スタートアップのように小さな金融グループに配属されたことが、自分にとっての大きな転機となりました。
社内スタートアップのようなスタイルで、どうすれば案件を取れるかを模索しながら仕事を進めていく。そのやり方が自分には合っていましたし、先輩方やクライアントの皆様にも恵まれました。
私自身の生い立ちを思い返してみても、金融業界に関われることに意義ややりがいを感じました。お金が手元にないと表情は曇るし、見ている未来がすごく手前になる。それまでは、3年後5年後の未来を考えていたのに、半年後1年後を考えるようになる。そういった経験を自分自身がしてきたからです。
一方、当時はアベノミクス後の2014年。これから金利が下がってくる市場環境で、銀行系クライアントがどうやって収益を上げていけばいいのかを悩んでいる時でした。
本来はより良い未来をどのように切り開くかを描きたいビジョナリーな経営陣の方々ですら、収益のプレッシャーから目の前のコスト削減しか考えることができなくなってしまっていた時代です。
そんな変化の時に金融業界のコンサルティングを行っていたというタイミング、ご縁には感謝していますし、その時に出会った金融機関の経営陣の方々から幾つものアドバイス、叱咤激励をいただきました。今でもその方々には大変お世話になっています。
そして社内で認められ
金融グループ本社のロンドンに赴任
ちょうど、ヨーロッパの金融業界では大きな波が起きているところで、そのひとつがオープンバンキング・規制緩和。
銀行がこれまでやってきたことをほかの事業会社が取り扱えるようになり、フィンテック系のスタートアップが数えきれないほど立ち上がっていて、電車に乗ると車内広告がすべてそれらスタートアップ企業のものという。そういう時代があったんですよ。日本じゃ考えられないですよね。
例えば、当時のヨーロッパはチャレンジャーバンクと呼ばれ、クレジットカードを起点に個人向け銀行系サービスに参入していく企業も次々に現れました。いろいろなモバイルバンキングサービスやアプリが登場し、私もそこにすごく興味を持ち、オタクっぽくいろんなアプリを使っていました。
そんな時にたまたまロンドンにいたのもまさにタイミング、ご縁なんですけど、それらがいろいろ積み重なって今に至っているのかなと。フィンテック系のスタートアップが盛り上がっているから、自分にもできるような気持ちがそこで芽生えていたんだと思います。
共同創業者
水野智規さんとの出会い
共同創業者の水野と会ったのもその頃です。私は当時26歳で、彼は31歳。ちょうど5歳差でしたが、その時の5年って、相当な差があるんですよね。
その時に水野に言われたのが、「誰のために人生の時間を使うか、誰の役に立ちたいのか」ということ。そこからいろいろとディスカッションしました。
そしてたどり着いたのは、「自分は世の中に何か新しい価値を生み出そうとしたり、人の生活を支えようとしたり、そういうチャレンジしている人のために時間を使いたい」という想いです。何かを生み出そうと頑張る人たちのために自分の人生を使う。それは、きっと飽きないと思うんです。
そこが原点となって、企業の目的や会社の事業のミッション、そして、今、私たちUPSIDERが掲げているミッション「挑戦者を支える世界的な金融プラットフォームを創る」につながっているんです。
お客様のニーズから生まれたというよりは、そういう自分の中で誰のために時間を使いたいのかという視点で、水野と意気投合できたところが大きかったですね。
UPSIDERの未来
自分の未来
私はキャリアの前半戦で大きな金融機関の方とご一緒させていただいたので、そこに恩返しをしていきたい。これまで金融機関の皆様が培ってきた膨大な知見や社会的な信用力と、私たちが得意とするAIを含めたテクノロジーの力を掛け合わせることで、お客様の信用を一緒に創ることができると考えています。
請求書カード払いサービス「支払い.com」もそのひとつです。共同運営のクレディセゾンとともに、資金繰りに困る中小事業者様に新しい選択肢を提供しています。
今後も、挑戦をともにさせていただける方々とのご縁を大事にしながら、いちスタートアップだけでは成し得ない価値創出を実現していきたいと考えています。
ビジネスパーソンに向けてのメッセージ
何事も時間がかかるし、すべてがうまくいくとは限らない。
私たちが心がけていることは、そんなときに助けてくれた方の役に立ちたい、恩返しをしたい。という気持ちで事業やっているからここまでこれたと思っています。
このインタビューを読んでくれた方も、助けてくれた方を思い出すきっかけになればすごくうれしいなと思います。
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