好きを極める力 ~ピアニストが切り拓く音楽の新たな世界~
大学院で音声情報処理の研究をしながら、ピアニストとしての道を切り拓いた角野隼斗氏。
クラシック音楽以外にもジャズやポップスなど幅広く音楽に興味をもち、ジャンルの垣根を超えて活動する角野氏の開かれた音楽への姿勢には、どんな原動力があるのだろうか。
Text:Natsuko Sugawara
Photograph:Keisuke Nakamura
Hair makeup:MAIMI
タイトル写真:©Ryuya Amao
◆ジャンルを問わず想いのままに音楽を追求する
大学時代は研究者として
ピアノの音色を分析
2021年のショパン国際ピアノコンクールではセミファイナリストとなるなどクラシック界において輝かしい経歴の持ち主でありながら、ジャズの造詣も深く「ブルーノート東京」の舞台にも立つ。しかし、角野隼斗氏の顔はそれだけではない。
東京大学大学院で音声情報処理を専攻した研究者としての経験を持ち、さらには自身のYouTubeチャンネルで自ら作編曲した楽曲を披露するなど、ピアニストの枠を超えた多才ぶりを発揮している。
「もともと、昔からいろいろな音楽に興味があったんです。親の影響で小さな頃からピアノは習っていましたが、中学生くらいになるとクラシック以外の音楽も自然と耳に入ってきますよね」
「その頃はジャズやロックに心を奪われて、バンドでドラムをやったり、ジャズピアニストの上原ひろみさんなどを夢中で聴いていました。だから、自分が音大に進学してずっとクラシック音楽をやっていくというイメージがまったく湧かなかったんです」
数学が好きで理系の学科を勉強するのはむしろ楽しかったという角野氏。ピアノは〝趣味〟で続けつつも東大に進学し、音声情報処理について学び始める。音楽そのものではないが、「音」にまつわる研究だ。
「その中に、聴こえてきた音源を機械によって自動的に楽譜にする『自動採譜』という分野があって、その研究に取り組んでいたときにピアノの〝音色〟とは何かを追求してみたくなったんです」
「だって不思議じゃないですか。ピアノはバイオリンなどと違って鍵盤を叩く際の『タイミング』と『強さ(音量)』くらいしか違いを表す方法はありません。なのに、私たちはピアニストが奏でる音楽を、弾く人によって違う音色として捉えます」
例えば、伴奏よりほんの少し遅れたタイミングで弾くといった、ピアニストが感覚的に行う演奏表現。音そのものに違いは生じないが、人々はこれを独特な音色と感じ、演奏家の個性として受け取る。
そんなふうに分析し理論を導き出すことで、ピアノが持つ繊細かつ唯一無二の表現力を知るとともに、自身の演奏家としての感覚にも自信が持てるようになったという。
「ピアノに限らず、理論を知らなくても感覚でできることってたくさんあります。でも、理論を理解しておくと、自分の感覚が信じられなくなったときにそれが確かな裏付けになる。こういった研究はピアニストになるために必要なことだったのだと思っています」
あらゆる好奇心と興味が
新しい音楽の世界へ導く
実際にピアニストの道を歩むことになったのは、大学院1年生のときに挑戦したピティナ・ピアノコンペティションでの特級グランプリ受賞がきっかけだ。
「趣味だったのが一気にセミプロになって、急にそこからピアニストとしてのキャリアがスタートしました。ただ、僕の感覚としては、突然というより長い年月をかけてじわじわとピアニストの道へと引き寄せられていったという感じですね。その都度好きなことをやってきて、気づいたらピアニストになっていました」
国内外のオーケストラと共演するなど、一躍若手ピアニストとして注目を浴びるようになった角野氏だが、縦横無尽ともいえる音楽への好奇心は今も健在だ。
YouTubeでは自身がアレンジしたポップスやアニメソングを軽快に演奏し、鍵盤ハーモニカやトイピアノまでを楽しげに弾きこなす。
「YouTubeは思いついたアイデアをその場で発信できるスピード感が自分に合っています。すぐにコメントが返ってきたりといったインタラクティブなところもおもしろいですね」
中学生の頃から聴き続けているジャズへの興味も募るばかりだ。
「ジャズで興味深いのは即興性です。クラシックでもバロック音楽などは即興演奏がありますが、僕は即興をやるのとやらないのとでは、かなり表現が変わってくると思っています。例えば、役者が役になり切ってセリフ以外の言葉を即興で喋るときがありますよね。すると、役者の演技もより自然なものに近づく」
「音楽も一緒で、作り過ぎてもダメで、どれだけその音楽が自然なものになれるかが大切です。そういう意味ではジャズのマインドに非常に学ぶところはあるし、ジャズについて深く知ることはクラシックを演奏するうえでも役に立っています」
もうひとつ、積極的にさまざまなジャンルの音楽を取り入れる理由がある。
「歴史的に見ても、音楽が大きく発展するときは他ジャンルとの融合が必ずと言っていいほど見られます。実際、クラシックも20世紀に入ると民族音楽やジャズの影響を明らかに受けた作品が出てきて、僕はそういったものをとてもおもしろいなと思うんです」
「クラシックの歴史は長いですから、伝統というものが存在する。伝統は守ることも大切ですが、守るだけでは緩やかに衰退していくのではないでしょうか」
伝統を守りながらも衰退させないためには、その時代に合った音楽へと進化させていくことが必要なのではないか、と角野氏は考える。
「21世紀の今、これだけたくさんの音楽が世の中にあるわけですから、できるだけ多く自分の中に取り入れたいと思っています。それがどんなふうにアウトプットされるかはまだわかりませんが、インプットが多ければ多いほど多様性に富んだものになるはずです。もしかすると、今の時代にしか成し得ない何かを表現できるかもしれない」
常に好きなこと、好きな音楽を追求し続ける角野氏。その好奇心が行き着く先には、私たちの想像を超えた新しいクラシック音楽の姿があるのではないだろうか。
※掲載の情報は2023年4月1日現在のものとなります。
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