【特別レポート】クリス・ペプラー氏 ✖ ジョン・カビラ氏~J-WAVE開局35周年の音楽史を振り返る~
2024年1月1日㊊㊗に放送された「J-WAVE NEW YEAR SPECIAL SAISON CARD TOKIO HOT 100 THE ANNUAL COUNTDOWN~SLAM JAM 2023」公開録音の模様を特別レポート。
番組内でON AIRされなかったトークも含め、1988年の開局から現在までのJ-WAVE35年の歴史を当時のランキングやエピソードとともに振り返っていきます。
Photograph:Keisuke Nakamura
1988年10月。
日本初のミュージックステーションを目指して
── J-WAVE35年の歴史の証人であり、東京の朝のカンフル剤、ジョン・カビラ氏は、当時29歳。
看板番組『TOKIO HOT 100』とともに時を重ねたクリス・ペプラー氏は第1回ON AIR時30歳。
J-WAVEの顔であり、レジェンドともいうべ二人のナビゲーターが開局からのエピソードや今だから話せるここだけの秘話などスペシャルなトークを繰り広げました。
クリス 今日は、『TOKIO HOT 100』のランキングとともに、J-WAVE35年の歴史をスペシャルゲストのジョン・カビラさんとともに振り返っていきたいと思います。
ジョン 1988年10月、開局の瞬間、覚えていますよ。J-WAVEの第一声、いたんですよ。現場に。
午前5時、ラジオ界の大先輩である遠藤泰子さんのステーションコールで始まりました。
クリス その翌日の日曜日が『TOKIO HOT 100』の生放送だったんですが、もう、ドキドキで。
僕は、長時間の番組のナビゲーターが初めてだったこともあり、本当に心臓が飛び出しそうでした。
ジョン そして、明けて月曜日。
私の担当番組『TOKIO TODAY』の記念すべき1曲目は、ペットショップボーイズの『Always On My Mind』。あがりましたねー。
クリス J-WAVEは、それまでの日本のラジオ界にはなかったミュージックステーションをつくろうと。
ラジオ界の生え抜きの人たちが集まって、これからの東京を沸かせるラジオ局とは一体どんな形であるべきか。マニフェストをつくり、それに則って開局したんですよね。
ジョン 〝アップスケール〟がキーワードだったんです。
アップスケールとは、お金持ちという意味ではなくて、いろいろなことに高感度である皆さん、好奇心豊かな皆さん、従来のものには満足しないという皆さん、そして、これまでのラジオとはちょっと違うものが欲しかったという皆さんに訴求する。そんな高みを目指していこうと。
── リスナーたちの毎日をより上質なステージへ。従来のラジオ局では流れないような音源の数々を、まさに世界各国から。
イギリスやアメリカのヒットチャートを追随するのではなく、独自のヒットチャートを世に送り出していきました。
クリス 記念すべき第1回目のチャート、第1位はフィル・コリンズ『A Groovy Kind Of Love』でした。ボン・ジョヴィやU2が上位に名を連ねて……。
1位の曲を読みあげて、イントロが流れ始めると興奮しましたね。手が震えるような感じでした。
ジョン 最初の栄えあるNo.1ですもんね。
クリス 『Bad Medicine』や『Desire』。今聴いてもワクワクしますね。
ジョン 朝から気分があがる。己を鼓舞する曲ってありますよね。
クリス 当時は、台本は手書きで……リクエストもはがきやFAXで届くという。
ジョン 手書きのリクエスト、キレイな文字の方とそれなりの方がいらっしゃって……(笑)。なかなか判読が難しかったのを覚えています。あとは、電リク。
クリス 電話リクエスト!
ジョン 放送局の電話番号を公開して、そこに電話してきてくれとか……懐かしいですね。
クリス 編集機器も今の3倍ほどの大きさでしたし、時代の変遷、感じますね。
音楽はもちろんカルチャーシーンにも
ムーブメントを起こし続けた1990年代
クリス 1993年10月のチャートには、シャーデー、ホイットニー・ヒューストン、レニー・クラヴィッツにジャミロクワイ、ジャネット・ジャクソン、マライア・キャリーとこの時代の立役者が勢ぞろい。
ジョンさん、この中でお気に入りは?
ジョン ジャミロクワイは鮮烈でしたし、レニー・クラヴィッツも、あがる曲でしたね。
当時の朝のFM番組というのは、鳥のさえずりから入って、さわやかなお目覚めのお手伝いをするというのが主流だったんですが、もういきなり「起きろー! 今日もいっしょに頑張りましょー!」と、ガンガンにON AIRさせていただきましたね。
クリス やはりJ-WAVEというのは、今までやったことのないスタイルで一世を風靡しましたよね。
ほかにも、イラストレーターやグラフィックデザイナーなどのクリエイターともコラボして、西麻布の地下道一面に壁画を描いたり……本当に話題になりましたね。
ジョン ニューヨークをはじめ、パリの放送局ともコラボしてさまざまな大陸のワールドミュージックもいち早くお届けしたり。
いわゆる、ワールドミュージックブームもJ-WAVEからと言っても過言ではない。私も勉強させてもらいました。
クリス 『渋谷系』というジャンルも含め、日本のポップスシーンにも影響を与えました。
ジョン 『J-POP』というワードもJ-WAVEが世に広めましたよね。
新しい音楽の表現。当時の歌謡曲でもない、ニューミュージックでもない。どのジャンルにも当てはまらない新しい才能たち。
それを『J-POP』と表現しました。
クリス 先ほどアップスケールというコンセプトの話がありましたけれど、明らかに日本の音楽がワールドスタンダードに近づいた気がしますね。
ジョン そんな皆さんの表現の場としてJ-WAVEが媒体になっていた。
クリス 我々の総称である『ナビゲーター』という言葉もJ-WAVEがはじまり。DJでもないし、パーソナリティでもない。我々は『ナビゲーター=水先案内人』である。
こういう音楽、流れがあるんですよと導くという役を担っているということなんです。
ジョン ミュージックステーションであるJ-WAVEのスピリット、フィロソフィーがなせる業ですね。
番組のオープニング曲に響く
大御所ジェームス・ブラウンの声
クリス 番組には数えきれないほどのゲストに登場いただきましたが、一番の衝撃はジェームス・ブラウンでした。
ジョン JB!
クリス とにかく豪快のひと言。絶対にこちらの進行どおりにいかない。
当然、遅れてきますし……。全然、自分のアルバムのプロモーションもしないし……。ずっと、当時付き合っていた彼女がサイコーだとばかり(笑)。
もちろん、質問にも答えてはくれないし。
ジョン なるほど。
クリス でもノリはすごく良くて。若手のヒップポップアーティストが勝手にジェームス・ブラウンの声をサンプリングしても何もお咎めがないじゃないですか。
そこで、『僕もあなたの声をサンプリングしていいですか』と聞いたところ、OKをいただいて。それが、今、番組のオープニングテーマで流れているんです。
ジョン 最高のエピソード……思い出話ですね。貴重ですよね。まさに、宝物です。
タイアップ中心のメガヒット構造から、
体験を楽しむイベント時代へ
ジョン 1998年は、音楽ソフトセールス最盛期で、(日本での)年間総売り上げ枚数は約4億5000万枚。と、まさにミリオンヒットの時代。
テレビ番組やCMとのタイアップがあったり、その効果でライブにもものすごくお客さんが入るような時代。
とにかく相乗効果の相乗効果の相乗効果で、ものすごいミリオンセラーが登場した時代です。
クリス でもそういったピークも下降線をたどっていく……。
ジョン ヒットのメカニズムが見透かされてくるんでしょうね。
クリス その代わり、ライブ……音楽フェスが増えてきましたね。
1997年の第1回『FUJI ROCK FESTIVAL』からですかね。まさに日本のフェスの代名詞となったわけですが、そのあたりから皆さんフェスに通うようになってきた。
音楽を楽しむのはもちろん、マーケットを楽しんだり、フードを楽しんだり……。ソフトというビジネスは減少傾向にあっても、ライブ、フェスは活気づいていきました。
ジョン その後、『SUMMER SONIC』が始まり、北海道では『RISING SUN ROCK FESTIVAL』。そして『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』などなど。ライブというのはまさに一期一会。その場にいないと体感できない希少性があります。
あとはそのコミュニティも魅力。みんな音楽ファン、そして、それぞれのアーティストのファン、そこでは全く見たことも聞いたこともないアーティストとも会うこともできる。音楽産業としてはそんなすばらしい試みが花開いた時代ですよね。
クリス 『J-WAVE LIVE』が始まったのは2000年。そして、2008年からは、『TOKYO M.A.P.S』というJ-WAVEがある六本木ヒルズとのコラボレーションイベントを開催。2013年には、両国国技館で『TOKYO GUITAR JAMBOREE』がスタート。
そして2022年には、『J-WAVE LIVE』が新たに『J-WAVE presents INSPIRE TOKYO Best Music & Market』として進化しました。J-WAVEも数多くのイベントを主催するようになりました。
ジョン 『INSPIRE TOKYO』では、そこにマーケットという要素が加わり、フードコートのみならず、社会的な課題に取り組んでいる皆さんの情報発信、グッズ展開なども行い、放送局として社会にどのように向き合っているのか、社会の課題をどのように考えているのかという発信も行っています。
クリス J-WAVEはラジオ局だけれども、ひとつの音楽に特化したブランドでもあります。こういったイベント、フィジカルにどんどん広がっていく、三次元として展開していくのも、我々の方法、方向性ではないかということですね。
21世紀。
インターネット、サブスクが加速させる
フラックスな時代
クリス 21世紀に入って、インターネットが普及してきました。
J-WAVEでは各番組でホームページを開設し始めた時期ですね。
ジョン ラジオはインターネットと仲良しのメディア。ラジオを聴きながら、タブレットやスマホなどを見ることもありますし、番組発信の情報を、オーディオ音声のみならず、ビジュアルでも表現ができる。
例えば、『TOKIO HOT 100』でチャートを瞬時に確認したり、サイトで追体験ができる。これは本当に強力な援軍ですよね。
クリス 今まで35年間やって来て、このインターネットが一番僕のスタイルに影響を与えましたね。
それまでは、僕の声でいろいろアーティストの情報をお届けしていたんですけれども、やっぱりインターネットがあると「後で検索してください」ということで細かい情報はあまり言わなくなる。
それよりもインプレッションですよね。いわゆるデータ情報ではなく、僕が受けた主観だったり、もうちょっと生々しいもの、人間の間とか感性が捉えた雰囲気だったりそういった印象を重要視するようになりましたね。
ジョン 開局のころ、なかなか海外の情報がリアルタイムに届かなかったという環境を、インターネットが一変させましたよね。本当に皆さんの指先に情報がある。
でも、クリスさんがおっしゃったように、それをどのように取捨選択してお届けするのかという、結局キュレーションが大事になってくるわけです。
博物館や美術館の学芸員の方は、この絵はここに飾ろう、次の作品はこういう展示にしようと考えていく。
私たちにすれば、情報をどのようにピックアップして、プレゼンテーションするのかを常に問われる立場になってきていますね。
クリス あとはサブスクリプションが登場した影響も大きいですね。
以前だと我々は、楽曲をレコードで買ったり、CDで買ったり、ダウンロードで購入していたのですが、今はもうサブスクリプションという聴く権利を購入する。
ジョン フィジカルなモノではなくクラウドですよね。そこから引っ張ってきて皆さん楽しんでいらっしゃいます。
こういった世の中の音楽の聴かれ方をどういう方程式でヒットチャートに反映していくのかが試される時代ですよね。
クリス そうですね。チャートを構成する要素……いろいろなファクターがあるんですが、開局当初はセールスとかON AIR回数など限られていたんですが、今はYouTubeやサブスクなど、大変なんですよ。いろいろな要素があり、いろいろなメディアで音楽が聴かれている。
『TOKIO HOT 100』というチャートを構成するのに、どういった要素を選ぶのか、何をセレクトするのかというのが非常に難しくなってきているのは確かですね。
ジョン 『TikTok』もありますし。海外のチャートでは、どれだけソーシャルメディアでメンションされるのか、ということも、ヒットのバロメーターにするべきではないかという議論もあったり……これはひとつの過渡期ですよね、まさにその真っ只中にいるっていう感じがしますし、あとチャートアクションが早くないですか。
クリス 早いですね。最近は初登場1位がだんだん増えてきて。今までは、この楽曲はどんどんどんどんチャートを登り、最終的に今の順位に至るけれども、そこには苦難の道が……という流れがあったんですが。
これはやっぱり時代なのかなと思わざるを得ないところもあります。
でも1位になるプロセスというのはね、そこにいろいろな起伏があってこそと思うところをいきなりドン! はね。35年やっていると、『あれ?』と思うことも正直あります。
ジョン まさにチャートアクションの変遷ですね。ソーシャルメディア、音楽の聴かれ方……皆さん本当に切り替えが早い。こういう切り替えの早さを、いつまで持続できるだろうかと、オールド音楽ファンとしては、ちょっと危惧するところはあります。
クリス フラックスの時代 ── ふるいがずっとゆすられているような。僕はもう21世紀になってずっと、そんなフラックスの時代が続いていると思います。安定した状況というのがない。
でも、それが今、我々が住んでいるこの21世紀、今なので、それを受け止めることが一番大事なことなのかなと。
『TOKIO HOT 100』は、その時代、時代に合った放送、そんな番組を作っていかなくてはならないなと思いますね。
※インタビューの情報は2024年1月1日現在のものとなります。
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