経営者に聞く革新のストーリー【鈴木啓太氏】~vol.4~
先人から受け継いだ知見と経験を次世代に継承し、新たな技術により、さらなる革新へと繋げていく。
そんなリーダーたちのインサイドストーリーをご紹介。
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今回は、元プロサッカー選手の鈴木啓太氏が登場。
現役時代の経験から「腸内細菌」に可能性を見出し、自身の会社を立ちあげます。
アスリート1,000人分の検体を集め、腸内環境を研究。
腸と、体のコンディションやパフォーマンスの関係を解き明かし大きな話題となりました。
サッカー人生と、活躍の裏にあった想いやエピソード、古き良きものから革新を導き出す秘訣についておうかがいしました。
Text : Fumiko Teshiba
Photograph : Masahiro Dozaki
優勝以外は認められない環境で、サッカーにのめり込む
非常に引っ込み思案なこどもでしたが、幼稚園に入ってサッカーと出合い、「自分もやりたい」という意志を伝えたところから、積極的になっていったと思います。
小学校では清水FC(ジュニアサッカー選抜チーム)に所属。スポーツ少年団での練習後、今度は21時くらいまで選抜チームで汗を流すという生活を送りました。
私が育った静岡県清水市(現清水区)は、サッカーが盛んなために全国大会での優勝が義務づけられた地域。
小学生時代清水FCは全国大会で準優勝したのですが、〝優勝しなかった世代〟と認識されてしまう厳しい環境でした。
中学校も全国優勝以外は認めないというような強豪校でしたが、ここでは無事に優勝を果たすことができました。
サッカー人生は終わりではない
高校での全国大会出場は叶いませんでしたが、小野伸二さんや高原直泰さんといった静岡サッカー界の名だたる先輩方も、実は高校3年生の時は全国大会に出られていないのです。
もちろん、全国高校サッカー選手権大会はひとつの大きな目標でしたので悔しさはありましたが、憧れの先輩方がそれでもプロで活躍されているのを見て、まだサッカー人生は終わりじゃない、この後も続けたいと思いました。
プロを意識し始めたのは幼稚園の頃。マラドーナがイタリアのプロチームでプレーしていたり、ブラジル代表の選手たちがブラジルリーグで活躍していたり、そうした姿に刺激を受けた記憶があります。
ただ、現実的になったのは、1993年のJリーグ開幕です。当時小学6年生だったのですが、日本にもプロリーグができたんだと感動しましたね。
そこからはJリーガーになりたいという一心で、サッカーに打ち込みました。
転機になったオリンピックの落選
浦和レッズではキャプテンを務めた時期がありました。ピッチに立つすべての選手が責任を背負っており、100%の力を出すという気持ちで臨んでいるので、特別な重責を感じているつもりはなかったのですが、J2へ降格してしまうかもしれないというシーズン(2011年)は、チームをまとめられていないのではと、本当に苦しみましたが、何とかJ1に残留することができてホッとしました。
この経験とこの時の感情は、サッカー人生の中で非常に大きな財産だと思っています。
アテネ2004も大きな転機になりました。U-23代表チームのキャプテンでありながら最終的にメンバーに入ることができず、チームの絶対的存在になれていなかったんだなと痛感しました。
一方、発表の際には食事が喉を通らないほどでしたが、選ばれるのか選ばれないのかという緊張の中で日々過ごしていたので、結果を受けて解放されたという気持ちもありました。
しかし、期待してくれていた方々に落ち込んでいる姿を見せるのではなく恩返しをしたい。選ばれなかったことに対して、もう一度力を証明したいという思いが、その後に繋がりました。
全試合に出場したオシム監督時代
ボランチの私に求められた役割は、走ることと、守備をオーガナイズすること。そのために、一番危険な相手選手を見極め、常に気にかけるようにと必ず言われていました。
オシム監督にはまた、印象的なエピソードがあります。それは「ルーティン化しない」ということ。
練習時間も練習メニューも、直前にならないとわからないし、変更されることも多々ありました。試合ではいつ何が起きるかわかりません。いくらスカウティング(相手チームの分析)をしていても、天候や会場の雰囲気、チームメイトの状態などですべてが変わることもあります。
ルーティン化する良さはもちろんありますが、サッカーや人生はそうじゃない。練習中にそれをメッセージとして伝えてくれていたのでは、と今になって感じています。
プロには、最後の10%、20%が大事
2014年11月の試合中に体調に異変があり、不整脈が見つかりました。15年に入るとほとんど試合に出ることができませんでした。
まだ33〜34歳でサッカー選手としての自信もありましたし、上達していると感じてもいましたが、どうしても80%、90%の力しか出せない。公式戦で100%が無理なのであればピッチに立つ資格はないのではないか。仕事としてプライドを持ってやってきたという自負もあったので、やはり引退すべきだとの結論に至りました。
浦和レッズのサポーターの皆さんの存在も大きかったですね。
「ほかのチームに行っても応援する」という言葉もたくさんいただきましたが、そんな熱いメッセージを見ていると、ほかのチームではプレーできないと思ったのです。
腸内環境に着目し、引退する年に起業
母の影響で、高校生の頃から腸内環境を意識してコンディションを整えてきましたので、知り合いのトレーナーさんと「腸内細菌」の話で盛りあがり、すぐに便の記録アプリを開発されたという方にお会いしました。
そこで「特徴的な被験者を調べれば、大きな発見に繋がる可能性がある」と聞いて、自分の体に投資する一方で負荷もかけるアスリートの腸内細菌を取りあげたらおもしろいのではと考え、3日後には会社を設立していました。
自分自身の経験から絶対に必要だと思っていたし、ヘルスケアにも興味があったので、これは使命かもしれないと勢いでスタートしました。
4年をかけて、1,000検体を収集
まずは、検体を集めるところからスタート。
共同研究をお願いした大学の教授から1,000ほどの検体が必要だと言われたので、4年をかけて収集し、アスリートの腸内環境の特徴を見出し、一般の方との違いについて発表してきました。
腸内環境は、大腸がんなど腸の病気だけでなく、アレルギーを含むさまざまな疾患に関わっていると言われています。
また、最近特に注目されているのは脳との関係です。認知症や睡眠、精神的な安定にも影響を及ぼす可能性が指摘されています。セロトニンやドーパミンといった脳内神経伝達物質は、腸内細菌の働きによって生成されるものだからです。
アスリートについては、腸内環境を整えると良いコンディションで試合に臨める、持久力や免疫力が高まる、筋肉が修復されるといったいくつかの結果を確認していますが、これらはアスリート以外の方にも当てはまるところなので、ぜひ目を向けてほしいと思っています。
日本は古くから発酵文化が発達した国。
腸内細菌は、おばあちゃんの知恵として、味噌や漬物といった発酵食品を通して伝えられてきたのでしょう。ただ、なぜ健康にいいのかという理由は知られていませんでした。
科学的に証明されることで、腸内細菌の大切さがより深く、広く伝わっていくのではと期待しています。
すべての人をベストコンディションに
AuB(オーブ)のビジョンは、全ての人をベストコンディションにすること。
体調がいいと、何をするにもやる気が出たり、新しいことを始めようという気持ちになったりと、ポジティブになれると思うのです。そうした方が一人でも多く増えればと願い、プロダクトやサービスを開発しています。
これからは、誰もがいつでも自分のお腹の中を可視化できる状態をめざしたいですね。
しかし、ベストコンディションはあくまでも手段で、健康だからスタジアムに行ける、山に登れる、家族と一緒にいられる、そういった好きな時間を増やしてもらうことが最終目的です。
私個人としては、いつかサッカー界に戻って、クラブ経営などにチャレンジしたいという想いもあります。
未来を想像し、積極的に生きる
振り返ってみると、選手時代から一貫して変わらないのは、積極的に生きる姿勢でしょうか。同じ時間を過ごすなら一生懸命やろう、楽しもうという気持ちは、サッカーでも今の仕事においても大切にしています。
決めたらすぐ動くと、失敗も早いかもしれない。それでも、失敗を経験すれば好転も早いんですよね。
それから、先を想像することを原動力にしています。想像できないことは叶えられませんから。
〝ラッキー〟は非常にうれしいことですが、連続性や再現性がない。しかし、こうなりたいと想像して自ら動き、うまくいったとしたら自信になるし、革新に繋がっていくかもしれません。
例えば、朝起きて今日はすばらしい一日になると想像する。もし何か嫌なことがあっても、その想像に向かって行動する。これからもそうやって、わくわくしながら生きたいなと思います。
※インタビューの情報は2024年9月1日現在のものとなります。
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