〈なでしこジャパンのDNA・後編〉サッカーを通じて女性がより輝くために
日本女子サッカー界では結婚や出産は引退後にするものという暗黙の空気があった。だが、出産後も現役選手としてプレーできることを示したのが岩清水 梓選手だ。
選手と母親の両立を果たした岩清水選手が、女性活躍のためのWEリーグの取り組みやワールドカップ優勝から現在までの歩みを語る。
※この記事は後編です。前編はコチラ
Text:Junko Hayashida
Photograph:Sachi Kataoka, Keisuke Nakamura
タイトル写真:JFA/アフロ
◆出産=引退しかない状況を変えたい
産後復帰とWEリーグが
女子サッカーに起こした変化
ママアスリートとして、スポーツ界全体から注目を集めている岩清水梓選手。だが、妊娠がわかったときは、岩清水選手も引退を考えていたという。
「だって前例がありませんでしたから、それが当然かなと」
その決意が一転、現役続行を決めたのは「復帰をめざしてみたらいいじゃない」という母の言葉だった。
「現在、なでしこジャパンでコーチを務めている宮本ともみさんが、ママとして代表合宿に参加していたことがあって。その話を母が覚えていて、復帰のアドバイスをしてくれたんです」
産後の現役復帰は、岩清水選手はもちろん、チームにとっても、協会にとっても初めてのこと。そこで女性活躍社会の牽引を理念に掲げるWEリーグの開幕を2年後に控えた協会とチームは即座にサポート体制に入った。
当時、男性トレーナーしかいなかったベレーザに、なでしこジャパンの女性トレーナーを派遣。産後、思うように体重が落ちずに悩む岩清水選手に、管理栄養士をつけることもあった。
「自分で言うのも変ですが、いろいろな人から私の出産を成功させたい、新しい道を切り拓きたいという想いを感じました」
だが、32時間にも及ぶ出産を経た岩清水選手は満身創痍の状態だった。
「走るどころか、体を起きあがらせることもできないので、最初からリハビリなんてできなくて、地味なトレーニングばかり。どこに向かっているんだろうと、すごくストレスを抱えていました」
そんな岩清水選手の背中を後押ししたのが、翌年から開幕するWEリーグが掲げていたウーマンエンパワーや多様性という言葉だった。
「特に多様性という言葉は大きな支えになりました。ちなみに、これは私の影響ではないかもしれないのですが、私の出産後、結婚したWEリーガーが増えたんです。これまで結婚とサッカーは両立できないという雰囲気があったのですが、今は数人が既婚者です。選手やスタッフに多様性への理解が広がったのは、うれしいことですね」
またWEリーグでは、妊娠中や出産後も現役続行が可能なように、世界的にも珍しい産休制度を導入。WEリーグ発足前は、日本代表に選ばれてもプロ契約ができず、アルバイトで生計を立てる選手も多かったことを考えると、選手たちの生活の質は飛躍的にあがったと言える。
「練習の前後に仕事がなくなり、家族との時間、自分の体のメンテナンス、睡眠時間、栄養面への配慮など、いろいろなことが大きく変わりました。また、私たちの環境だけでなく、こどもたちが職業としてサッカー選手をめざすことができるのは、とても大きな意義があると思っています」
「一方で観客が多いとはまだまだ言えない現状もあります。自分たちのサッカーを突き詰めるだけでなく、Jリーグと肩を並べられるぐらい試合でお祭りのようなムードを作っていきたいし、地域貢献活動なども行わないと、尻つぼみになってしまうという危機感も持っています」
母になって視点が変わったからこそ思いついた地域活動の形もある。育児や仕事の息抜きの場としてホームゲームに親子を招待する「イワシート」もそのひとつだ。
「息子が保育園に通うようになって、初めて働くお母さんたちの姿を間近に見ました。もしかしたら私より疲れているのではないかというママもたくさんいらっしゃるなかで、サッカーが親子で楽しめる息抜きの場になればいいなと思って活動をしています。こういう視点は、自分が母親になって初めて気づいたこと」
「今は漠然とですが、同じ親だからこそわかるお母さんの悩みを、スポーツを通じて支えられるのであれば、積極的に活動をしていきたいと考えています」
どうしたら女子サッカーのファンを増やすことができるのか。WEリーグの試みとして珍しいのは、協会と選手たちが闊達に意見交換のできる場が設けられていることだろう。
「1シーズンに1回ほどですが、WEリーグのチェア(代表理事)や、役員の方と会議をしています。ほかの選手もグラウンドで話しているとき以上にいろいろな考えを持っていて、びっくりすることも多いですね」
「こういった意見交換は規模の大きな男子リーグでは多分難しくて、小規模なWEリーグだからこそ実現できるのではないでしょうか。特に今はリーグの創設期で、いろいろな意見が出ることがとても重要で、風通しの良い会議が行えることはとてもいいことだと思っています」
世界一奪還をめざす
なでしこジャパンの勝機
日本にプロリーグが発足して、初めて迎えるワールドカップ。優勝奪還をめざすなでしこジャパンにとって、厳しい戦いが続くことは想像に難くない。とは言え、2011年の優勝も苦難の連続だった。そのなかで勝利を勝ち取った理由を今どう見ているのか。
「ひとつは年齢やキャリアのバランスがとても良かったということ。そして大変つらい出来事でしたが、大会直前に東日本大震災があったこと。困難な生活を送っている人もいる中で、サッカーができる感謝を伝えたいという気持ちをメンバー全員が持っていました」
「決勝のアメリカ戦では延長前半に失点をしましたが、いつもなら澤穂希さんも一緒にショックを受けているんですよ。でもあのときは『顔をあげろ』ってみんなに声をかけて。その声で『下を向いちゃダメだ』と諦めずに戦うことができたし、あのときの光景は今でも鮮明に覚えています」
「普段だったら、大会に対する想いは選手それぞれだと思います。だけどあの大会は全員が『日本で応援してくれる人たちのために、良いニュースを届けよう』という純度の高い想いを持っていたことが勝利に繋がったのだと思います」
では、今のなでしこジャパンは世界とどう戦えばいいのか。
「多くの人が言っていることですが、世界のレベルは12年前よりも確実にあがっています。これまではスピードで負けても、うまさでは日本が勝っていました。でも今は各国が日本の良さを取り入れていて、しかもスピードも速い」
「そのなかで日本が勝機を見出せるとしたら、私はセットプレーが重要だと思います。私たちのときは宮間あやというスペシャルなプレースキッカーがいたので、セットプレーからの得点が多かったのですが、最近のなでしこジャパンの試合でもセットプレーからの得点が少しずつ見られるようになってきました。だからなかなか点が入らないなと感じても、セットプレーがキーになると思って、来たるワールドカップを楽しんでほしいですね」
◆卵子凍結が拓く可能性について
女性が輝く未来のための選択肢として考える
女性アスリートが自身のキャリアプランを考えるうえで課題となるのが妊娠・出産だろう。
その選択肢のひとつとして、卵子凍結が近年、各国で注目を集めている。そこで出産後の現役復帰を果たした、WEリーガーの岩清水梓選手が、卵子凍結に詳しい岡田有香医師に卵子凍結の実情やアスリートにとっての利点などについて話をうかがった。
正しく知ることで広がる
女性アスリートの選択肢
岩清水
最近、アメリカのリーグでは卵子凍結がスタンダードになりつつあるという話も聞いています。私の周りでも気になっている選手が増えているように感じていたので、お話を聞くのを楽しみにしていました。まず本当に素朴な疑問からなのですが、採卵は痛いというのは本当ですか。
岡田
痛くないとは言えません。少し重い生理痛をイメージしていただくといいでしょう。ただ10分ぐらいで済みますし、岩清水さんのように出産を経験されている方であれば大丈夫でしょう。
岩清水
採卵の前後に運動をしないほうがいいなどあるのでしょうか。
岡田
採卵の前後1週間程度は激しい運動を避けます。また、採卵開始日から約10日間はご自身でホルモン注射が必要になります。ドーピングに引っかかるものではないもので施行できますが、ホルモンバランスの影響は若干出るかもしれません。
岩清水
そうなるとシーズンオフしかできないですね。私は33歳で第㆒子を出産して、今36歳。40歳まで現役を続けることはないと思いますが、少しでも長く競技は続けたい。出産のタイムリミットも迫っているけれど、2回目の選手復帰は正直難しいと思うし、じゃあ第二子はどうするのか。今、リアルに悩んでいます。卵子凍結には年齢制限があるのでしょうか。
岡田
卵子は生まれ持った数が決まっています。また33歳頃から加齢に伴って卵子の質が劣化していき、37歳頃で急激に下がると言われています。日本生殖医学会では35歳ぐらいまでに採卵、45歳ぐらいまでに使うことを推奨しています。
岩清水
私、採卵の推奨年齢を過ぎてます(笑)。
岡田
あくまでも推奨なので、妊娠の確率が下がることなどをご理解いただければ採卵をすることは可能です。また、岩清水さんの場合は㆒度出産をされていて2年ぐらい生理が止まっているはずなので、推奨年齢を超えても卵子のストックはあるはずです。ただ、こればかりは個人差が大きく、20代でも1~2個しか採卵できない方もいらっしゃるんです。
岩清水
そんなに個人差があるんですか!?
岡田
はい。なのでご自身のライフプランを考えるにあたり、まずはAMH検査でご自身の卵子の状態を知ることから始めていただくといいでしょう。私も自分のキャリアの中で第二子をどうするか悩んだときに、まず自分の卵子の在庫数を検査してキャリアプランを立てました。
岩清水
その検査は卵子の数や質を診ていただけるんですか。
岡田
卵子の数はわかりますが、質については受精卵にしたときに良い卵かどうかを判別するので、検査ではわかりません。ただ質については基本的に年齢相応なんですね。やはり若いうちに卵子凍結をするほうが妊娠の確率はあがります。
岩清水さんのようにパートナーがいらっしゃるけれど、妊娠のタイミングが今ではないという方は、卵子凍結より確実に妊娠の確率があがる、受精卵での凍結をおすすめしています。
岩清水
知らないことばかりですね。女性アスリートの場合、20代後半ってある程度経験も積んできて、体も動く、選手としてのキャリアのピークなんです。それにアスリートは競技生活優先で、自分のライフプランは二の次という考え方がまだまだ根強いと感じています。
岡田
選手生命が終わったときに、いつの間にか妊娠・出産の時期が過ぎていた方も結構いらっしゃいます。だから今は選手生活を続けたいという状況でも、卵子凍結という選択肢があることを知っておいてほしいですね。
岩清水
産むかどうかは別としても、そういう選択肢があるのを知ったうえで、選べるほうが絶対いいですよね。私も今日、浅い知識で質問しましたけど、正しい情報を得ることも大事ですね。私がなでしこジャパンに選ばれたとき、婦人科の医師による勉強会があったのですが、生理やピルなど競技に近い話が中心でした。ただ今日お話をうかがっていて、卵子凍結や妊娠など、もっとライフプラン全体を俯瞰できるような研修会の必要性を感じました。これは男性の指導者やスタッフの理解を深めるためにも大切だと思うんです。
岡田
不妊治療が保険適用になって、昔よりも㆒般男性の理解は深まってきていますが、まだまだ他人事と捉える方も多いです。男性は「自然に妊娠できればいい」と考えている人がすごく多いのですが、自然妊娠は実は簡単ではありません。だから女性アスリートに関わる男性には特に、そのメカニズムを知っていただき、メンタル面も含めてサポートする必要があることを、共通認識として持っていただきたいです。
岩清水
もうひとつ気になっているのが費用です。卵子凍結って、いくらぐらいかかりますか。
岡田
平均的に卵子凍結は採卵から凍結までで約40万円、受精卵の場合は約50万円、年間の保管料が卵子凍結の場合は個数に応じて3~10 万円になります。受精卵を戻すときは保険適用があるので5万円ぐらいですが、卵子凍結をした卵子を戻すときには現時点で保険適用外となっています。
岩清水
若いアスリートが卵子凍結を維持する経済力を持つのは大変ですから、費用面のサポートがあるとうれしいのが正直なところですね。
選択肢が増えれば、キャリアを諦める必要もなく、競技に集中することができますし、それは女子サッカーの発展にも繋がると思うんです。
岡田
選手にとっては、体にどのくらい負担があるかが一番のネックになると思いますので、正しい知識を持っていただき、最終的にご自身のライフプランで必要だと思えば行っていただく。卵子凍結が出産の可能性を残したいと思われる選手の選択肢になればいいですよね。
海外ではすでにその流れがあるので、日本でも同じような流れができてほしいと願っています。
岩清水
引退後の人生のほうが長いですしね。これからの若いアスリートが正しい知識を持って、豊かな人生を歩める環境を作れるように、私もいろいろと勉強をしていきたいと思います。
〈なでしこジャパンのDNA・前編〉世界で輝く女性活躍のフィールド はコチラ
※掲載の情報は2023年6月1日現在のものとなります。
❖このインタビューを音声でCHECK!
Podcast「THIS IS US Powered by SAISON CARD」